「光は、今しばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のある
   うちに歩きなさい。」


ヨハネによる福音書12:27~36より35
応援教師 山本 清   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2023年9月

 主イエスがエルサレムに入られ、十字架の時が迫っていた。その時、主は、「今、わたしは心騒ぐ」(27)と言われた。御自分の

死の時が迫っている現実を前にして、逡巡しておられるのであろうか。――そうではない。主イエスの死は、単に御自分が命を失う

ことではなく、神の御心に反する人々の罪の結果であり、その罪の重さが主を苦しめているのである。本来、私たちが受けるべき

苦しみを、代わって受けておられるのである。

 続けて主は、「しかし、わたしは正にこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現わしてください」(27後半〜28前半)と

祈られる。それは、御自身が命を献げることによって、神の御名の栄光を現わすことを表明なさっているのであり、神はそれに応え

て、「わたしは既に栄光を現わした。再び栄光を現そう」(28節後半)と応じておられる。

 これを聞いた群衆は、「雷が鳴った」とか「天使がこの人に話しかけたのだ」(29)と言ったが、主イエスは、「この声が聞こえた

のは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ」(30)と言われた。今、主イエスに起ころうとしていることは、私たちのためなの

であった。

 
更に主イエスは、「今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての

人を自分のもとへ引き寄せよう」(31、32)と言われた。これは33節にあるように、御自身の死について述べられたのである。

 これに対して群衆が、「律法」(=旧約聖書)において、メシアは永遠の存在であると聞かされているのに、天に上げられなければ

ならないとはおかしいのではないかと矛盾を指摘すると、主イエスは標記のように、「光」のことを語られた。ここで「光」とは、

主イエス御自身のことで、光である主が、罪と悪が支配する暗闇のこの世から、私たちを引き寄せてくださり、光のもとで生きること

が出来るようにしてくださったのだ。

 
最後に、「暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」と

言われた(35後半〜36)。これは、主イエスに対する天からの声であると共に、30節にあるように、今の私たちに向けての天の声で

ある。主イエスの十字架にこそ、栄光があらわされている。この光が、私たちのうちに照らされている今のうちに、光である主を信じ

なければならない、ということである。

                                             (9月3日 主日礼拝説教より) 











                                                            
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