「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハネによる福音書 8:31~32
標題の「真理はあなたを自由にする」という言葉は、ヨーロッパの大学や研究所の入口などに掲げられることが多いそうであるが、
ここで主イエスが言われた「真理」とは、一般的、学問的な真理ではなく、上記の聖句のように、その前に、「わたしの言葉にとどま
るならば」という条件がついている。主イエスの言葉が真理の源であり、その御言葉に従って歩むことで、本当の自由が得られる、と
いうことである。
では、本当の自由とはどうなることか。ユダヤ人は、エジプトで奴隷とされ、バビロンに捕囚となり、主イエスの時代にはローマの
支配下にあった。しかし、その中で、父祖アブラハムの子孫であることを誇り、たとえ、政治的、経済的な隷属状態にあっても、宗教
的には支配されることはなく、「今までだれかの奴隷になったことはありません」(33)と、神の民として自由であるという誇りを持
っていた。
そんなユダヤ人に対して、主イエスは、「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(34節)と言われた。ここで
「罪」とは、個々の律法に対する違反というより、神との関係が損なわれているということである。私たちも、自分なりに正しい生き方
をしていると自負していながら、主イエスの言葉にとどまっていなければ、本来の自由を得ているとは言えない。当時のユダヤ人たちは、
結局、主イエスを信頼せず、十字架へと追いやってしまった。だが、そんな愛に満ちた主イエスの真理が、私たちを本当の自由へと導き
出すのだ。
ここで言う「真理」とは、<主イエスの御言葉>と言い換えてよいだろうし、<主イエスそのもの>と言ってもよい。主イエスは後に
14章で、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(14章6節)と
言っておられる。ですから、「真理を知る」とは、イエス・キリストを知ることであり、それは冒頭の聖句にあるように、主イエスの御
言葉にとどまって、主の御言葉に従って歩むということである。
今月は、主イエスの御受難を覚えるレント(受難節)の真っ只中にある。主の十字架が指し示す本物の自由のうちに生きる者たちとされ
たい。そして、4月9日に迎える復活節(イースター)の恵みに、共にあずかりたいものである。
(3月5日主日礼拝説教より)