イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、 それを取って置いたのだから。
」
ヨハネによる福音書12:7
応援教師 山本 清
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2023年8月
主イエスが十字架に架けられることになる過越し祭の六日前、既にイエスに対する逮捕命令が出ている中で、主はエルサレムから
東へわずか3㎞弱のベタニアにある、ラザロやマルタ、マリアたちの家を訪問し、食事の席に着いておられた。主は、マルタ、マリア
姉妹とは以前から親しくしておられ、兄弟のラザロが病死した時には、既に墓に葬られていたラザロを生き返らされたことがあった
(11章参照)。群衆は、主イエスの動向にも関心があったが、甦らされたラザロ見ようと、やって来ていたようである(9節)。
そんな中で、マルタは、ラザロを墓から甦らせてくださった主イエスへの感謝を込めて、食事の用意をし、給仕をしていた。ルカ福
音書10章には、以前に主イエスが姉妹を訪問された時のことが記されているが、その時も、マリアの方は主の足元に座って、主の話に
聞き入っていたのに対して、マルタは、せわしく立ち働いていて、何の手伝いもしないマリアを責めたところ、主イエスにたしなめられ
たことがあった。
それに対して、今回のマリアのしたことは、非常識と言える行為であった。純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ(その価格は
労働者の1年分の賃金に相当)も、惜しげもなくイエスの足に注いだのである。「油を注ぐ」というのは、王や祭司、預言者の即位に
際して行なわれることで、マリアは、主イエスこそ、メシア、救い主であるとの思いを込めたのであろう。また、足を洗うのは、来客
のために奴隷が行なう行為であったので、マリアは主イエスに対して奴隷の役をすることで、最高の賓客としてもてなそうとし、しかも、
女にとって大切な自分の髪の毛でイエスの足を拭うことで、そこには単なる感謝や尊敬以上の深い愛が込められていたと言える。
ところが、その様子を見ていたイスカリオテのユダは、「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」
と批難した。これは常識的な感覚であり、その裏には、主イエスへの批判が込められている。
だが、主イエスは、「この人のするまま
にさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたし
はいつも一緒にいるわけではない」と言われ、主の十字架が他に比べられるものではないことを述べられた。主の日の礼拝も、他の事を
犠牲にしても、最も大切な自分自身を芳しい香油として神に献げる貴重な時である。 (8月6日 主日礼拝説教より)
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主イエスへの香油注ぎ
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