「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あな
たは祝福の基となるであろう。……地のすべてのやからは、あなたによって祝される。」
以上の原歴史に続いて、聖書は呪いとは全く正反対の祝福を語ります。祝福とは、万物の創造者である神の、私たちに対する愛の
表れです。この私の存在が、揺ぎ無き神の愛に支えられ、愛され、包まれて、限りない喜びに満たされていることです。神は、アブ
ラハムが祝福を受けて大いなる国民となることを約束し、更に、祝福を受けた者が祝福を生み出し、与える者となり、そして世界の
すべての民が、アブラハムの子孫によって祝福に入ると言われました。では、アブラハムの子孫とは誰でしょうか。新約聖書は
「約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされ……『子孫たちに』と言わずに、ひとりをさして『あなたの子孫とに』と言って
いる。これは、キリストのことである。」(ガラテヤ3:16口語訳)と、アブラハムの子孫がキリストであることを明らかにしています。
そして「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを……のろいからあがない出して下さった。」(ガラテヤ
3:13口語訳)と記しています。この呪われた世界と歴史のすべてを、キリストは十字架に負って処置して下さいました。このキリスト
の救いを信じる信仰によって、神の祝福は私たちの現実となっているのです。