………神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
     = 創世記 1 : 1 – 5 =


初めに、神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇は深淵の面にあり、

 神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして、光があった。

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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2018年4月
 近代化に、戦後の日本は薔薇色の未来を夢見た。だが、気が付くと、そこには思いもしなかった問題が起こっている。昨今の

世界と日本の状況は、近代文明の終焉を予兆させ、いよいよその暗さを増し、人類の行方と地球の運命、また文明の未来を改めて

考えさせる。聖書はこの文明の崩壊現象について何を語っているのだろうか。今日、我々は何を以って生き抜き、何によってこの

現実を耐え抜けばよいのだろうか。

 創世記1章は、紀元前6世紀、捕らわれの身となった捕囚期に書かれた。国は滅び体制は崩壊した変動と荒廃の時代である。

創世記1章は、こうした激動期の、物事を根本から見つめ、根底から考えようとした時代の文書である。決して荒唐無稽な昔話、

世界のどこにでもある創造神話ではない。世界と人間の存在の確かさが何処に在るのかという、その根本的な課題に答えたもので

ある。ここで創世記1章が深く見つめているのは世界の不確かさである。第一に「地は混沌」としている。混沌とは「形なく虚しく」

とか、「混乱、瓦礫の山」と言った意味で、この世界が神の審判と神の激しい怒りのもとにある世界だと見ている。第二は「闇が

深淵の面にあり」
と、この世界は底なしの深い暗黒に覆われている。これが著者の見た現実認識である。第三は「神の霊が水の面を

動いていた」
ことだ。「霊」には他に風・息と言う意味がある。これを風と訳すと「暴風が水面を吹き荒れていた」となる。

 以上のように聖書はこの世界の死の現実を厳しく見つめている。神が「光あれ」と言われたのは、こうした世界の現実の中へ、

である。この光は太陽や月の光ではない。それらは後で造られている(16節)。この光は昼と夜に分けられた時と時間と歴史の光である。

混乱と破壊の世界に秩序を見、時間を見たのである。また「神が言われた」と、このような世界を、神の語りかけのある世界だと

信じている。この世界は、神に見捨てられてはいない。神の語られたことがその通り実現する世界だ。もう一つ大切なことは、神が

「昼と呼び、夜と呼ばれた」ことで、この「呼ぶ」とは主権と支配を意味する。神が「闇を夜と呼ばれた」と言うことは、神は闇をも

支配され、行き詰まりと死の床にもその支配が及ぶと言うことである。キリストは、我々の死の世界の支配者として立たれ、それに

勝利された。
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