「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。
こうした私たちの現実に、神の「言が肉体となって宿」りました。交わりを生み、本当の対話を生む神の言が、私たちと同じ肉体
をもった人間として来てくださったのであります。これがイエス・キリストのご降誕、クリスマスの出来事です。では「わたしたちの
間に宿られた」とは、具体的にどういうこと事でしょうか。
預言者イザヤは「霊妙なる議士」と言っています。これは驚くべきカウンセラーと言う意味です。カウンセラーには三つの働きが
あります。第一は、心を傾けて聞き入ること、第二は、その全てを無条件に受け入れること、第三は、指示しないこと、この三つです。
イエス様は罪人を見た時、また他国の手先になって法外な税金を取り立て、私腹を肥やしている徴税人を見た時、更に不道徳のそしり
を免れない遊女を見た時、その罪と不正、不道徳を批判するのではなく、そのあるがままの姿をジッと見つめ、あるがままの全てを
無条件に受け入れて、その場所に身を置き食事を共にされました。そして、その罪の全てを己が命をもって十字架上に負われたので
あります。イエス・キリストの十字架によって天の扉が開かれ、神への命の交わりに立ち帰って行く道が開かれました。
救い主イエス・キリストの御降誕を喜び祝い、心から主の栄光を讃美しましょう。