「見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないであろうか。……
九十九匹の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
ここで羊飼いは「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回」りました。ここで強調されていることは、
失われた一匹、即ち失われた人間の魂です。羊飼いはその羊を見つけ出すまで捜し求めて止みません。何故そんなに熱心に探すの
でしょうか。詩篇に「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられる」(27:10、口語訳)とあります。生まれながらに
して、その命の拠り所も知らずに、途方に暮れている私たちを、神は憐れみ、尊い価値ある者と見て下さっているからです。
よく考えてみますと、何千年遡っても、またこれから何万年後にも、この私と全く同じ顔をした人間、同じ人物は一人もいない
のです。後にも先にも、あなたも私も、神の前ではかけがえのない唯一の存在として覚えられているのです。
私たちは自分を自分で評価して、傲慢になったり落ち込んだりします。しかし、この神こそが本当の私をご存知なのです。
そして神はどんな私であっても、かけがえのない大切な者として既に愛して下さっているのです。
私たち人間関係においても、相手が自分の思い通りにならないわがままな人であっても、なおその人の中に、神に創造された神に
愛されている人としての尊さを見出そうとすることが大切です。そこに真実の愛があります。
主イエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11)と言われました。そして、迷い出た
私たちの罪の重荷の一切を、十字架上に負って下さったのです。現代人は愛されるに足るか、と言った人がいます。そうではありま
せん。現代人も既に神に愛されているのです。