イエスは…、讃美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、…
『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』」
(30-32

 

    ルカによる福音書24 : 13 - 32   

 



  教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2021年4月

聖書の復活証言は、復活したキリストが実際に弟子たちに現れてご自分を示されたこと、主イエスを葬ったお墓が空っぽだったことの

二つです。お墓が空であったことは、キリストの復活が亡霊のようにその精神だけが生き返ったのではなく、体の復活であったと言うこ

とです。そして、その復活とは、死んだ人がただ蘇生して生き返ったのではなく、全く新しい、栄光の姿に甦ったと言うことです。何故

なら、復活のキリストご自身が、自らを弟子たちに示された時、主は、鍵をかけて固く閉ざされた部屋を自由に出入りされました。


 では、復活のキリストが死から解放された栄光の姿で、永遠に生きて、私たちと共にいて下さると言うことを、どうすれば信じることが

出来るのでしょうか。聖書を見ますと、そうした復活の信仰は、復活のキリストに出会った人の体験から生まれて来ています。その一つが

今日の聖書物語です。二人の弟子がエマオへ行く途中、自分たちの他に、もう一人の人が一緒に歩いているのを知ります。二人は道々論じ

合っていました。その話題は、先ごろ死んだナザレのイエスのことでした。彼はその業においても、またその教えにおいても全く素晴らし

い方だったのに、どうしてあのような無残な死に方をしてしまったのか。そうしたことを話し合っている時に、もう一人の人が諄々と聖書

について、キリストの受難と死について解き明かしてくれました。

 やがてエマオに着き、時も遅く夕食の席に着いて、その人がパンを裂く手つきを見て、二人は初めてそれが主であることに気付くのです。

すると姿が見えなくなりました。パンを裂くことは、今日の聖餐式を表します。それは復活の主ご自身が、私たちの眼を開いて下さった出

来事です。復活の主は、この眼をもって見ることの出来ない存在です。それは、私たちの眼が
「遮られていて」(16)「物分かりが悪く、心

が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者」
(25)になっているからです。


  そのような者が罪と死の壁を越えて、そこから解放され、本当に喜んで生きるようになるにはどうすればよいのか。それはキリストの説

き明かしに聞いて聖餐に与かり、キリストによって霊の眼が開かれる以外にありません。その時、罪と死に勝利して甦られたキリストが、

どのような時にも、この私と共にいて下さることを実感して、復活の喜びと希望に満たされた栄光の輝きに与かり、その心が、内に燃えて

来るのです。






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     心は燃えていたではないか