「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。/あなたたちの息子や娘は預言し/ 老人は夢を見、若者は幻を
見る。……主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/……主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」(1-5節)

 

    ヨエル書3 : 1 - 5   

 



  教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2021年5/6月

人間は、自分の知恵と力によって衣食住を満たすだけでは生きて行けません。被造者に過ぎない人間が、全ての命の営みを、人間の知恵

に頼ろうとしているところに、近代文明の一つの限界があります。今、私たちに本当に必要なのは、合理的な知識や技術でなく、それらを

越えたスピリット、霊的な潤いと生命力です。神の霊が降った聖霊降臨の出来事は、キリストの復活から数えて50日目に起こりました。

しかし それは、突然起こったのではなく、それに先立つ紀元前5世紀、預言者ヨエルによって既に預言されていました。その預言の語ら

れた歴史的背景は、バビロンの捕囚から帰還しエルサレム神殿が再建された後です。ユダとエルサレムに恐るべき事態が起こります。それは

、前代未聞のイナゴの襲来です。太陽が光を失い、空が真っ暗になるほどの大群が押し寄せて来て、地上の全ての食物を食い尽くし、人々は

荒廃と貧困に喘ぎました。その時、神の言葉が預言者ヨエルに臨み、この現象は最後の審判への警告で、悔改めて主の日に備えるべきことを

告げました。ユダとエルサレムの民は悔改めて神に赦しを願い祈りました。その祈りの答えが、主の日(審きの日)の前に起こる聖霊降臨の

預言でした。

「その後」(1節) とは、悔改めを祈った後のことです。悔改めて神に立ち帰り、礼拝を捧げる全ての者に「霊を注ぐ」(1節)と言います。神の霊は

神の力、命を与える創造の力です。例えて言えば、幼児が親の腕で安らぎを覚えるのは、理屈でなく親の愛情から湧き出る、霊性、スピリットに

よります。その時、幼児の心に安らぎが満ち、自分の知恵や能力に関係なく、自分を越えたところから注がれる、生きる勇気と希望、そして喜び

が満ち溢れます。同じように神の霊は、朽ちて死んで行く人間、精神的にも肉体的にも弱く、何の拠り所もない人間に注がれます。しかも、悔改

める全ての人に何の区別もなく。

神の霊は、悔改めて立ち帰る人に、朽ちるこのない未来、夢と幻を与えてくれます。預言者ヨエルの語った神の言葉は成就しました。聖霊は降

りました。主の日、最後の審判の時はキリストの十字架と復活と共に、既に始まっています。終りの日を前に「主の御名を呼ぶ者は皆、救われ」(5節) 、

神に敵対する者は皆、破滅し荒廃します。









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