見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないであろうか。……
          九十九匹の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。

 

     ルカによる福音書15 : 1 - 7  

 



  教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2021年9月
 
 有名な、迷い出た羊のお話です。聖書は神と人間との関係を、羊飼いと羊に譬えます。ここで問題なのは迷い出た一匹の羊です。これは、

この人生をどう生きて行ったら良いのか分からなくなって、迷い出し、孤独の中で、生きる目的を失い、途方に暮れている人間の姿です。

 そしてこの迷い出た羊を、主イエスは「罪人」と言っています。聖書が罪と言う時、それは人殺しや泥棒の罪を言うのではありません。

罪という言葉は、的を外すと言う意味で、つまり主イエスから離れて、主イエスを見失い、その命の所在が分からなくなっている人間の姿

です。


 ここで羊飼いは「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回」りました。ここで強調していることは、失われた一匹、

失われた人間の魂を探し求める主イエスの姿です。羊飼いはその羊を見つけるまで捜し求めて止みません。なぜそこまで熱心に捜すのでしょ

うか。詩編に「父母はわたしを捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せて下さいます」(27:10)とあります。その命の所在も知らずに、

途方に暮れている私たちを、神は、かけがいのない大切な者として見て下さっているからです。よく考えますと、この世界には私と同じ顔、

同じ心を持つ人間は一人もいないのです。後にも先にも、あなたも私も、神にとって、かけがいのない唯一の存在として覚えられているのです。

 私たちは自分で自分を評価して、傲慢になったり落ち込んだりします。しかし、この神こそが本当の私を知って、しかもその私をありのままで

愛し、御許に引き寄せて下さるのです。愛とは、相手の人が自分の思い通りにならないわがままな人であっても、なおそこに、神の作品としての

尊さを発見することではないでしょうか。

   主イエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ福音書10 : 11)と言われました。そして、迷い出た私たち

の罪の重荷の一切を、十字架上に負って下さったのです。このキリストに見出され、このキリストに負われている自分を発見する時、私たちは初め

「天にある喜び」、隣人と共にある喜びを知るのです。現代人は愛されるに足るかと言った人がいます。そうではありません。現代人は既に愛され

ているのです。












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