旧約聖書・ホセヤ書は、神と人間との関係を夫と妻の関係に喩えています。預言者ホセアは淫行の女ゴメルを娶れと神に命じられ、彼女
と結婚します。やがて子供が生まれます。然しその子はホセアの子でなく、他の男との間にできた不倫の子です。続いて生まれた子供も
同様でした。三番目に生まれた子もホセアの子ではありませんでした。神に命じられて結婚した女が、平気で夫に背いて姦淫を犯し、不
義の子を産みます。これが神の言葉に従った結果です。妻ゴメルはやがてホセアのもとを去っていきます。
ホセアの苦しみは如何ばかりでしょう。激しい憤りと血の復讐すら考え、女を八つ裂きにしても気が治まらない程の憎悪の念に苛(さい)
なまれ途方に暮れます。そのホセアに再び神が語りかけます。それは耳を疑うような言葉でした。「姦淫する女を愛せよ」と言うのです。
自分を裏切った、腹の煮え返るような女を、なお愛しなさいと言うのです。不倫と淫行の末に家庭を棄てた女をです。何故、どんな根拠で
そんなことを言うのか。
神は言われます。「他の神々に顔を向け、…愛しても、主がなお彼らを愛したように」と。「他の神々」とは、この世の富や地位、
目に見える金や物、偶像のことです。「顔を向け」とは、そのような者に目を向けて愛し、心の拠り所にする生き方です。これは明らかに
神に対する不貞であり、妻ゴメルに勝る裏切りです。然しそれにも関わらず、そのような者を神は「なお…愛される」と言うのです。
ホセアは 背信のイスラエルに対する神の愛の痛みを理解しました。そのことを知った時 ホセアの心に、激しい怒りを胸にかき抱きつつ尚、
不貞の妻ゴメルへの愛が生まれて来たのです。不幸な結婚、自分の悲哀に満ちた体験を通して、神に背く人間に対する神の不変の愛を深く
知ったのです。そこでホセアは妻 ゴメルを見つけるまで探し続けました。彼女は男に捨てられ、奴隷となり娼婦にまで転落して、実に哀れ
な姿になっていました。ホセヤは身代金を払って妻ゴメルを買い取り、再び「あなたはわたしの妻です」と言って家に迎え入れ、妻の座
に据えました。
私たちは皆、神に背き、滅びるしかないゴメルのような者です。しかし、この様な者が神の赦し、神の愛に招かれています。主イエスの
十字架と復活によって、私たちが神の子の座に据えられることを知る時、心からなる悔い改めに導かれ、私たちは新しい喜びに溢れ、神を
讃美する者に変えられます。