「 ヤコブを奪わせたものはだれか。かすめる者にイスラエルをわたしたものは誰か。

これは主ではないか。われわれは主にむかって罪を犯し、…… 」

   = イザヤ書 42 : 18 - 25 



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2019年2月
 主イエスは「父なる神の赦しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」(マタイ10:29)と言われました。この歴史と

世界に起こっている出来事、また自分の境遇、これら全ては神の赦しがなければ決して起こることではありません。そこには

人間の思いに先立つ神の御心があります。ですから、たとえ割り切れない現実に直面しても、絶望したり動揺したりすることは

ないのです。文句を言う前に、先ず、今の現実を御言の光に照らして見つめ、御言に聞くことが大切です。そうすれば、そこに

人の思いに先立つ神の御計画のあることを悟ることができます。

 人間の歴史と私たちの現実は、決して偶然や意味の無いものではありません。神の民であるイスラエルは、バビロンの捕囚の

出来事の中で、この神の言葉に照らして現実を見ようとしなかった為に、その人生が実に無意味で、虚ろなものになってしまい

ました。彼らは人間の考えに捕らわれ、自我の殻に閉じこもってしまったのです。そもそもこの世界と歴史は神の創造に始まっ

たのです。そこには神のご計画があり、神のみ旨があります。このことを神の経綸と言います。

 人間が少しばかり頭がよく、この世界を支配できるかのように見えても、決してこの世界と歴史の支配者ではありません。

「このことに耳を傾け」(23節)ない、「心をもちいて……聞」こうともしない(23節)、そのことが歴史と人生を虚ろなものに

してしまう根本原因です。神の「その教え」(21節)、「その道」(24節)に心を傾け、注意深く歩むことをしないで、どうして

この時間の中に生きることの意味を知り、歴史を意味づけることができようか、と言うのです。

イスラエルの民は略奪者の手に落ち、バビロン捕囚となったことを十分認識していました。バビロンの神々の恐るべき力とその

威力に圧倒されていました。今日の私たちも現代の神々である経済の力、組織の力、その権力の恐るべき力と威力は、知ってい

ます。しかし私たちには「かすめる者にイスラエルをわたした者はだれか。それは主ではないか」(24節)、という認識が

決定的に欠けています。ここに今日の問題の根本があります。人の目に不幸と映るその背後に神が働いておられる。そのことを

自覚する時に、初めて「われわれは主にむかって罪を犯し」(24節)た、という罪意識が生まれ、この罪意識が自覚されるところ

に、キリストはこの罪に死んで甦られたことの救いを体験し、歴史の正しい認識と人生の正しい歩みが回復されるのであります。

















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