主にむかって新しき歌をうたえ。地の果てから主をほめたたえよ。」(口語訳10節)

  = イザヤ書 42:10 - 13 



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2019年8月
  今日、子供のいじめによる自殺や米中の覇権争い、アニメ会社ビルの放火事件等が起こっています。これらはばらばらの様に

見えますが、実は、癌細胞が増殖して、体のあちらこちらに異変を起こしている状態のように見えます。こうした時代に生きる

私たちに、聖書は何を語りかけているでしょうか。今日の聖書の冒頭で「歌え、主にむかって、新しい歌を」(直訳)とあります。

しかしこの箇所の時代背景はとても歌を歌える状態ではありませんでした。国は滅ぼされて廃墟と化し、富も栄誉も人間の持つ

一切の誇りを失って60年近い歳月が過ぎ、多くの人々はバビロンの捕囚の地で二度と祖国を見ることなく死んで行ったのです。

彼らの現実には絶望と暗黒しかなく、新しい歌など何もありませんでした。

しかし、そうした現実の中で人間の常識を打ち破って「新しい歌を歌え」と預言者は告げます。この「新しい」とは、私たちの

考えるような新しさでなく、驚いたことにこの言葉は「終り」を意味します。世界の終り、人生の終り、所謂終末です。その終り

にこそ、新しい歌、神を褒め称えて止まない讃美の歌があると言うのです。

しかし、今、突然そんなことを言われても、誰も、中々理解できないと思います。何故なら、私たちの生きる現代社会は、無批判

に科学の進歩を受け入れた近代合理主義、人間中心の世界だからです。私たちは何事も理論的に、しかも計算し尽くされた厳密な

科学的シュミレーイションによって物事を判断し、人間の頭脳で物事全てを捕らえようとします。ところが、人間の考えと言うも

のは、元々自己中心で、損得や利害から離れることが出来ません。従って肉の人間は利害を超える、新しい未来に生きることが

出来ないのです。ただ死をもって終るしかありません。現代は本当の意味での未来と希望を失った時代です。預言者の生きた世界

もこれと同じでした。

しかし、彼らが本当に、生きる希望に目覚めたのは、過去の出来事や今立っている現実から将来を見たのでなく、預言者の語る

神の未来から自分たちの現実を見た時でした。その未来、その終りは人間によってもたらされるのでなく、「主が出陣」(13節・私訳)

されて、「鬨の声をあげ、敵を圧倒される」時です。そこで新しい歌が主に向かって歌われるのであります。主イエスは、この神の

終りの希望に生きたからこそ、死に至るまで神に服従し、私たちの重荷を負って十字架について下さったのです。そして終わりの日

の希望、新しい生命の初穂として復活されたのであります
 




















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