「 わたしは終りの事を初めから告げ、/ まだなされていない事を昔から告げて言う、
『わたしの計りごとは必ず成り、/ わが目的をことごとくなし遂げる』と。」(口語訳 10 節)
私たちが最も頼りにし、誇りにしている偶像とは何でしょうか。多くの人々にとって、それはやはり安定した経済力、
お金ではないでしょうか。私たちの国はあの敗戦の中から、ニューヨークのエンパイアステートビルを羨望し、豊かさに憧れて、
人々は形振り構わず、右肩上がりの経済成長にその生涯を捧げて来ました。しかし、産業革命に始まる今日の科学技術文明は、
やがて核の脅威を生み、今では、その経済構造にも大きな矛盾が生じて来ました。需要の拡大による大量消費は、果てしのない
自然破壊を生みます。これはフランクルが言う、何かを偶像化した結果です。絶対的価値の無いものを自己目的として、そこに
究極的な意味と最高の価値を見てきました。文芸復興、人間の発見に始まる近代文明は、人間の力と能力、その頭脳と理性に、
全能者の如き可能性を見ようとした文明ではないでしょうか。それは明らかに、人間が偶像の神になり代わったことです。
聖書の告げる如く、偶像には必ず終りの日、没落の時が来ます。私たちは、今、一つの文明、一つの歴史が消滅して行く変動期
に生きています。
次に預言者は「残ったすべての者よ」(3節) と呼びかけます。残った者とは、戦いに敗れて生き残った人々のことです。ですから、
その前には徹底した破壊と挫折があります。頼りにしていた、誇りにしていた偶像に裏切られて涙する者が、そこで初めて、新しい
未来を告げる神の声を聞きました。それは「生れ出た時から、わたしに負われ、/…白髪となるまで、/…持ち運び、かつ救う。」
(3-4節)と、どんな挫折の中でも私はあなたの神であり続けると言う言葉でした。挫折を通して偶像の空しさ、愚かさを思う時、
誕生と滅亡を繰り返す歴史の中に一貫して変わることのない神の計画を知るのであります。