「 恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたし
にはわかっているが、もうここにはおられない。……、よみがえられたのである。」(口語訳5説)
しかし、そう思いながら実は案外平気な顔をして毎日を生きています。死と言うことが本当に自分のこととして自覚されるのは、
自分が末期癌で余命僅かの宣告を受けるような時です。その瞬間から、死は他人ごとではなくなります。どうしたら死なずに済む
かと必死になります。死人の復活と言うことが本当に自分の問題となるのは、そういう時です。死の壁を突破する、その突破口は
どこに……と。
そんな人間に向かって、お墓から出てきた復活のキリストが「平安あれ」(28:9)と言われたと聖書は記しています。
この言葉は「喜びなさい」という意味です。ここで大事なことは、本当の喜びの無いところには命が無いと言うことです。肉体が
生きていても喜びが無ければ、それは生ける屍に等しく惨めです。では一体どうしたら死ぬべき人間が喜べるのでしょうか。
どうしたら、その「喜びなさい」という言葉を、自分の喜びとして受け取ることが出来るのでしょうか。