恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたし

    にはわかっているが、もうここにはおられない。……、よみがえられたのである。」(口語訳5節)

   = マタイ福音書28 : 1 – 10 



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2019年4月
   太陽が西から昇ったと言っても、にわかに信じることはできません。同じ様に、死んだ人がお墓に葬られ、三日も経ってから

生き返ったと言われても、にわかに信じることができません。しかし一方で、死んだ人が生き返るなら、こんな素晴らしいことは

ないと思います。何故なら、私たちの生涯は必ず死を以って終るからです。自分の体が段々老いて衰えて行く現実から、人は死ん

だらもうおしまいだと思います。

しかし、そう思いながら実は案外平気な顔をして毎日を生きています。死と言うことが本当に自分のこととして自覚されるのは、

自分が末期癌で余命僅かの宣告を受けるような時です。その瞬間から、死は他人ごとではなくなります。どうしたら死なずに済む

かと必死になります。死人の復活と言うことが本当に自分の問題となるのは、そういう時です。死の壁を突破する、その突破口は

どこに……と。

そんな人間に向かって、お墓から出てきた復活のキリストが「平安あれ」(28:9)と言われたと聖書は記しています。

この言葉は「喜びなさい」という意味です。ここで大事なことは、本当の喜びの無いところには命が無いと言うことです。肉体が

生きていても喜びが無ければ、それは生ける屍に等しく惨めです。では一体どうしたら死ぬべき人間が喜べるのでしょうか。

どうしたら、その「喜びなさい」という言葉を、自分の喜びとして受け取ることが出来るのでしょうか。

 ここで知らなければならないことは、復活の出来事を最初に体験したのがマグダラのマリヤであったことです。彼女は七つの悪霊に

取り憑かれた罪深い過去を持つ問題の多い婦人でした。この罪人が一番初めに復活のキリストに出会い、その喜びを受ける復活体験に

与ったのです。言い換えれば、自分の罪を自覚している人だけが、復活のキリストに出会い、その喜びを受けることが出来るのです。

彼女は神の前に罪ある者として、裁きを受けなければならない者であることを知っていました。だから彼女は罪を裁く十字架を、そこ

に張り付けになったキリストを見ようとしてやって来たのです。そして、その時にキリストが甦られたことを聞きました。「罪の支払う

報酬は死です。」(口-マ6:23) キリストは私たち全ての罪の重荷を負うて十字架上に死んで下さり、しかも、その死に勝利されたの

です。その復活の主が「喜びなさい」と言われました。この言葉こそ、私たちが超えられなかった罪と死に打ち勝って、永遠の扉を開く

希望となったのです。


















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