「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」
(マタイによる福音書16:24〜25)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)
主日礼拝では、連続して使徒言行録から御言葉を聞いて来たが、16章には、パウロたちの第二回宣教旅行で、ヨーロッパ最初
の伝道地であるフィリピに至った時の出来事が記されている。(使徒言行録16章11〜40節)
フィリピの町には、まだユダヤ人が少なくて、ユダヤ教の会堂も建つには至っておらず、安息日には、川岸の「祈りの場」で
集会を持っていたようであるが、パウロたちの一行がそこでイエス・キリストの福音を宣べ伝えると、紫布を商うリデイアとい
う婦人の心を主が開かれ、家族の者も洗礼を受けた。だが、パウロたちが祈りの場所に行く途中で出会った女奴隷に取りついて
いた霊をパウロが追い出したことで、女奴隷を使って利益を得ていた主人たちが騒ぎ出し、パウロたちは牢に投げ込まれ、足枷
をはめられるに至った。
その日の真夜中ごろ、パウロたちは、嘆きや怒りの声を発するのではなく、讃美の歌を歌い、神に祈っていると、突然大地震
が起こり、すべての囚人の鎖が外れたので、看守たちは責任を感じて自害しようとしたが、パウロたちは、それを思いとどまら
せて、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言ったことから、彼らも平安を取り戻し、
結局、パウロたちも釈放されることになった。
これでもって、正義が完全に回復したとは言えない。高官たちは自分たちの過ちが知られることを恐れて、二人に町を出て行
くように頼む。彼らは自分たちの立場を守ることに汲々としている。そこには恐れがある。一方、パウロたちは自由を回復され、
リデイアの家に行き、兄弟たちの間に大きな喜びがもたらされた。看守の家でも、家族ともども喜びに満たされた。――このよ
うにして、福音が勝利したのであります。
こうして、フィリピの町に、パウロたちによって福音がもたらされたことによって、自由が回復し、救いがもたらされました。
この世には、悪が染み着いて、正義が損なわれ、本当の自由が失われています。福音の持つ自由で、罪を贖う力だけが、社会や町
全体に本当の改革をもたらすのであります。 (8月31日、9月7日の礼拝説教より)