フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はフィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声を叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。(使徒言行録8:5~7)
・・・フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。(同、8:12)
使徒言行録7章には、ステファノがユダヤ議会の最高法院で語った大胆な説教が記されていたが、そのステファノが殉教の死を
遂げたあと、エルサレムの教会は大きな迫害を受けることになった。しかし、それを契機に、散らされた人々はサマリアの町に
下って、福音を宣べ伝えた。その中での、フィリポの働きが上記のように記されている。
フィリポは、キリストの福音を宣べ伝えると共に、上記のように、癒しの業をも行なった。<キリストを信じれば病気が治り
ます>というような、御利益宗教的な言い方は誤りだが、キリストは汚れた霊(悪霊)をも追い出す力をお持ちの方であり、精
神的、肉体的な病に陥っている私たちを救い出すことが出来るのは、主イエスしかないと信じることと、福音を信じることとは、
決して別のことではありません。
続いて、フィリポが神の国とキリストの福音を告げ知らせて、人々が次々と信じて、洗礼を受けたことが記されている。「神
の国」とは、神の御支配のことであり、それは、決して抽象的なことではなく、具体的に病気が癒され、救いが始まることなの
である。――こうして、大迫害の結果、福音は歴史的対立をも超えて前進したのであった。
しかし、魔術と福音の奇跡とは別物である。魔術は、自分を大きく見せるために行なわれるが、福音の奇跡は、汚れた霊や病
気で困っている人々の喜びのために行なわれ、最終的には、福音を信じ、洗礼を受けるようになるのが目的であった。
今日の世界においても、汚れた霊は、なお人を虜(とりこ)にし、病気や様々の重荷から解放せず、一向に平和が訪れないよう
に思える。だが、キリストは既に勝利しておられるのです。その勝利が私たちのものとなるために、私たちは、もっと深くキリスト
の御言葉に聴き入り、キリストの言葉に従わなければなりません。
新しく迎える2025年において、この伝道所の皆が、御言葉によって生かされ、力づけられて、新しい前進を図ることができるよ
う、また、伝道所の一人一人が、信仰に生きることが出来るよう、祈りましょう。 (12月29日の礼拝説教より)