主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え/山々に草を芽生えさせられる。獣や、烏
のたぐいが求めて鳴けば/食べ物をお与えになる
(詩編147編8~9節)

 



兼任牧師 中家 盾   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2025年2月

 詩編147編には、神様の民が留め置かれることとなった厳しい現実のことがいくつも出てきます。「追いやられた人々」「打ち

砕かれた心の人々」「その傷」「貧しい人々」「逆らう者」がそれです。厳しい現実の中で、神様の民の信仰がすっかりかじかん

でしまっている様子が「雪」「霜」「氷塊」という言葉から伝わってきます。

 
主イエスは「思い悩むな」(マタイ6章25節、31節)と言われますが、それでも私たちは貧しいゆえの「思い悩み」、その一方

で、豊かであるにもかかわらずの「思い悩み」を抱えます。足りている、にもかかわらず、私たちの心はいまだ満たされないま

までいるのです。

 
「思い悩み」が生じる時、私たちの心は揺れ動きます。そうなれば、物事を落ち着いて見定めることは難しくなります。恐れ

や不安、疑いの気持ちが強くなっていけば、満足な行動を取ることはできません。

 
どうすれば思い悩まないでいられるでしょうか。一つのヒントとして取り上げられるものが「山々(の)草」、そして、「烏」

です。「山々(の)草」はほとんどの場合、誰の目に留まることもありません。また、聖書に出てくる「烏」は嫌われものの一

つです。しかし、それでも打ちひしがれていません。その理由は、ほかでもない神様御自身がそれらの存在を愛してくださって

いることにあります。必要とあらば、神様は天や大地さえも動かし、「山々(の)草」や「烏」を養ってくださるのです。

 
もちろん、「山々(の)草」や「烏」と言えども、何もしないでただ突っ立っている訳ではありません。自分に与えられたこ

とに関しては一生懸命です。憂うことなく、また、競うことなくにです。私たち信仰者も「山々(の)草」や「烏」と同じです。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6章33節)とお命じになる主イエスの御声に応えるよう促されていま

す。

 
「これらのものはみな加えて与えられる」(同)と言われているのですから、安心して与えられている恵みや賜物を神様の御

用のために用いることができます。私たちが思い描いている以上のものが御言葉を通して神様から与えられているのです。神

様の温かな御声によって、かじかんでしまった私たちの心はどんどんと溶け出し、私たちからあふれ出す賜物は、神様と隣人の

ところへ献げ物としてたどり着くこととなるのです。             
(2025年週報表紙の聖句についての奨励)







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