すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子ら のために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」(使徒言行録9:15)
標記は、初代教会の信徒アナニアに、主イエスが幻の中で語られた言葉である。「あの者」とは、後の大伝道者サウロ
(パウロ)のことである。アナニアは既に、サウロがどういう人物で、何の目的でダマスコに来ようとしたのかという情報を
得ていたようで、「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の
人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕えるため、祭司長たちから権限を受けています」(13,14節)と
答えています。アナニアの思いは、「何であんな悪事を働いた人の所へ行って、手を置いたり(按手をする)、目を見えるよ
うにしなければならないのか、」ということであります。ダマスコの信者たちは、サウロがやって来るという情報を得て、それ
なりの対策を練っていたと思われます。あんなひどい奴は、主イエスが罰してくださってもよいのではないのか、という思いが
あったのではないでしょうか。それなのに、敢えてサウロ(パウロ)に温情をかけるなんて、おかしいのではないか、あんな人
間を甘やかすことは、良くないのではないか、と言いたかったのであります。
アナニアには戸惑いがあり、何であんなサウロの所へ行かなければならないのか、という思いもありました。しかし主イエス
は「行け」と命じておられます。そこで、アナニアは出かけて行きました(17節)。――ここに、アナニアの回心があります。
サウロ(パウロ)の回心が完成するために、もう一人アナニアの回心が必要でした。アナニアは自分の思いや判断を越えて、主の
言葉を信じ、それに従ったのであります。
私たちは、伝道とか福音の宣教について、自分の経験や他の事例などから、一定のイメージや判断を持っています。こういう
方法はあまり効果がないとか、あの人はクリスチャンになりそうもないから誘っても無駄だとか、教会に来なくなって久しいか
ら、もう見込みがない、といった判断をしてしまいます。
しかし、アナニアは主イエスの再度の御命令を受けて、しぶしぶであったかもしれませんが、ともかく、自分の考えを捨てて、
主イエスの言葉に従って出かけました。そして、サウロの回心が完成へと導かれました。ここで教えられることは、サウロの回心
の蔭にアナニアの回心があったということであります。主イエスは、私たちの回心を大きく用いてくださるお方であります。
(2025年2月2日 礼拝説教より)