サウロ(パウロ)は、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる
偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしても
ゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前の目が見えなくなって、時
が来るまで日の光を見ないだろう。(使徒言行録13:9~11)
使徒言行録13章4~12節には、パウロたちの最初の伝道地であるキプロス島での出来事が書かれているが、ユダヤ人の魔術師
で、バルイエスという偽預言者が現れて、バルナバとサウロの伝道を妨げようとする。
この島の地方総督であるセルギウス・パウルスという人物は「賢明な人物」であったが、魔術師の問題を見抜くことが出来ず、
交際を続けていたようである。この総督が、パウロとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。それは、単なる興味からか、
自分の人生や仕事の面で迷いがあって、色々なものに救いを求めようとしていたのか、あるいは、もっと深く福音に関心を寄せ
ていたのか、その辺りは解らないが、魔術師は、自分と総督とのこれまでの関係が脅かされることを恐れたようで、二人に対抗
して、地方総督をこの信仰(福音に対する関心)から遠ざけようとした。福音の伝道をするとなると、いつも障害となるのが、
他の宗教との関係である。現代の日本人は、普段はそれほど宗教心があるようには見受けられないが、神社やお寺との関係を断
ち切るというのは非常に難しいようである。親戚や近隣との人間関係を大切にしようとするまともな人ほど、伝統的な仕来たり
から離れることが出来ないのである。サタンは、人びとを悪事に誘うとか、偶像を拝むという行為までさせることはなくても、
人間関係や生活の中に深く入り込んで、私たちが福音に専心することを妨げようとするのである。バルナバとサウロに対抗して、
地方総督を福音への信仰から遠ざけようとした魔術師に対して、パウロ(サウロ)は、聖霊に満たされて、魔術師をにらみつけ
て、表記のように言った。聖霊は、このように、物事の上辺だけでなく、真実を見る目と、臆せず大胆に語る力を与えてくださ
るのだ。私たちの伝道においても、物事や人を正しく見る目と、臆せず真実を語る勇気が必要である。それは、ただこの世的な
賢明な人、勇気のある人であれば持てるということではなくて、信仰によって、聖霊に満たされることによって与えられるもので
ある。主は、必要に応じて、そのような真実を見る目と勇気を備えてくださるのである。こうして、主は、主の道を歪めようと
する者を払いのけて、主の道を通されるのである。 (6月1日の礼拝説教より)