「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、
婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように
言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の
用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意が出来ています。さあ、婚
宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出か
け、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。」
(マタイによる福音書22:2〜6)
天国とは死んでから初めて行ける所で、天国に行くには善い行いを積まねばならず、悪いことをすれば地獄に行かねば
ならないとか、天国とは人間の願望としての理想郷に過ぎない、などと考え勝ちですが、イエス・キリストは天国のこと
を、上記のような譬えをもって弟子たちに語り始められました。
この譬えでは、天国は「王が王子のために開く婚宴」に譬えられています。そこには大きな喜びがあり、希望に満ちた
未来があります。その宴の主催者は神であり、すべては神が備えておられ、準備が整えられていて、その席に連なるため
には何の資格や準備も要らないのです。ところが、婚宴に招かれた者たちが、様々な理由をつけて来ようとしないばかり
か、招きに来た王の家来を捕まえて殺してしまったというのです。
この譬えの王とは神様のことであり、王子とは御子イエス・キリスト御自身のことであり、招きに応じようとしないの
は、私たちのことであります。
譬えは続きます。王は、招待した者が一人も応じないのを見て、家来たちに、「町の大通りに出て、見かけた者はだれで
も連れて来るように命じます。これは、罪人として救いから遠いと思われていた人びとも天国に招かれているということを
表わしています。主イエスは十字架に架けられたとき、両横に二人の犯罪人が十字架に架けられていて、一人はイエスをの
のしりましたが、もう一人が「あなたの御国においでになるとき一緒に天国にいる」と約束されました。こうして、死刑囚
さえも、罪のない主イエスが身代わりになって十字架に架かってくださったので、天国の宴席に連なることが出来るように
されたのです。ところが、その宴席に、用意された礼服を着ていない者がいて、宴席から放り出されました。招かれたこと
に感謝の思いを持っていなかったからです。
このように、「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」のが実状ですが、神は私たちを天国に招いていてくださるのです。
(2025年10月26日 特別伝道礼拝説教より)