「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見る人の 

   
ようになった。……涙と共に種をまく人は、喜びの歌と共に刈り入れる」
(直訳1, 5節)

 = 詩 篇 126 : 1 – 6



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2019年9月
  イスラエルの民が捕囚から解放されて祖国に帰ると聞いた時、夢みる人のように心の底から喜びが湧き溢れ、お腹の底から

微笑みがこみ上げ、思わず歓喜の歌が喉をついて出て来ました。かつて引き上げ船に乗って命からがら満州を脱出し、祖国の土を

踏みしめた人々が 実に感無量であったのと同じです。

大事なことは、そのことを為さるのは神だと言うことです。捕らわれの身の自分ではどうすることも出来ない現状を 決定的に変え

ることのできるのは、自分でも、他人でも、組織でも、お金でもなく神ご自身です。私たちは一体何が、自分と家族と社会・国家の、

その運命を支配すると考えているのでしょうか。イスラエルはエジプトの軍事力に頼って見放され、無惨な結末を迎えて国を失い、

捕らわれの身となりました。アメリカの軍事力に依存する日本も、必ずしも安泰とは言えません。現実の恐怖と そのリスクを乗り越

えて「静かにして、主に信頼しているならば救われて力を得ることが出きる」(イザヤ30:15 )と、預言者は語ります。この預言の

言葉は現実となりました。

 しかし喜びも束の間、そこに在ったのは、荒れ果てた瓦礫の山でした。唯一の拠り所・神殿も崩壊したままです。何から手を付け

て良いのか途方に暮れてしまいました。そんな困窮の中で、民は祖国再建の希望に燃えて 真剣に神の救いを祈りました。そのように

心の底から祈ることのできたのは、50年にも亘る捕らわれの身から 奇跡的に開放されたと言う、大いなる神の御業を体験したからで

す。「荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる」(イザヤ35:6 ) その神の「大きな業」に明日を生きようとしたのです。

それが彼らの確信に満ちた祈りでした。そしてその祈りは、「涙と共に種を蒔き」「泣きながら出て行く」ことに始まります。この

表現は祭儀神話から来たもので、種蒔きは埋葬を象徴し、刈り入れは新しい命の甦りを意味しました。

 パウロは「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(Ⅰコリント15:36 )と言っています。

神の大きな業が実現する祈りは、最後まで心に留まる様々な思い・感情、その様な自我に死んで、これまでの神の恵みの御業を思い起

こし、真に神を仰ぎ臨むことから始まります。私たちの 最後まで捨てきれない我執に、キリストは 既に死んで下さっているのです。







 









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