マリアに、天使ガブリエルから神の御告げがあり、彼女は畏れながらも その御告げから逃げないで全身で受け止めて、その身を神に委ねました。
こうして彼女は神の御業に与り、マリアの讃歌を歌う者とされました。歌わずにはおれなかったマリアの神体験、それは この讃美の歌を歌う者に
追体験され、私達を神の臨在を確信する大いなる喜び・讃美へと導きます。そこには、人間の如何なる説明によっても、また どんな知的な理解に
よっても得られない、人間と自然を越えた神の領域が開かれています。聖書の歴史には、古代から讃美の歌がありました。竪琴に合わせて歌わせ
たダビデの歌は旧約聖書に最も多く出てきます。マリアの讃歌はその殆どが、旧約の讃美の歌に基づいています。
マリアの讃歌に示される第一のことは、マリアの神体験がどれほど大きな喜びであり、また計り知れない恵みの御業であったかと言うことです。
そのためにマリアはこのように神をほめ讃えずにはおれなかったのです。「わたしの魂は主をあがめ……神を喜びたたえます。」(47節) と。
「あがめる」の語源はメガトン爆弾のメガで、10の6乗、百万倍の力を表す単位です。「主をあがめる」とは、神がとてつもなく大きいことを体験し、
自分が如何に小さく取るに足りない、卑しい存在であるかを告白することです。 第二のことは、未来に起こるべきことが、今、実現しているかのよう
に歌っていることです。過ぎ行く時間の中に拘束されている人間に、「信仰とは…見えない事実を確認すること」(ヘブライ12:1)だ、と言います。
その未来とは 「思い上る者を打ち散ら」(51節)す、逆転の未来です。第三のこと、それこそ、イスラエルが待ちに待ったメシヤの到来、約束の成就
だったのです。この神の御業こそが、真のクリスマス、救い主キリストの御降誕なのです。