「 ヤコブを奪わせたものはだれか。かすめる者にイスラエルをわたしたものは誰か。
これは主ではないか。われわれは主にむかって罪を犯し、…… 」
人間の歴史と私たちの現実は、決して偶然や意味の無いものではありません。神の民であるイスラエルは、バビロンの捕囚の
出来事の中で、この神の言葉に照らして現実を見ようとしなかった為に、その人生が実に無意味で、虚ろなものになってしまい
ました。彼らは人間の考えに捕らわれ、自我の殻に閉じこもってしまったのです。そもそもこの世界と歴史は神の創造に始まっ
たのです。そこには神のご計画があり、神のみ旨があります。このことを神の経綸と言います。
人間が少しばかり頭がよく、この世界を支配できるかのように見えても、決してこの世界と歴史の支配者ではありません。
「このことに耳を傾け」(23節)ない、「心をもちいて……聞」こうともしない(23節)、そのことが歴史と人生を虚ろなものに
してしまう根本原因です。神の「その教え」(21節)、「その道」(24節)に心を傾け、注意深く歩むことをしないで、どうして
この時間の中に生きることの意味を知り、歴史を意味づけることができようか、と言うのです。