「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。

それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(口語訳)

   = ヨハネ福音書 1 : 14 - 18 =



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2018年12月
  言(ことば)は、聞く相手がいて対話をするから意味があります。独りごとは、やはり不自然です。人の心を明るく照らすのは、

心からの対話が成り立つ時です。人間はこのように、言によって誰かと心を通わせる交わりの存在として神の言によって造られて

います。しかし、現実の世界は、この神の言を失い対話を失って、闇の世になっています。言葉よりも力が支配しています。政治

の力、組織の力、権力やお金の力、軍事力が世界を支配しています。そして私たちは、そのどこかの力に身を寄せて自分を守り、

その力を誇っています。本当に血の通った人間の交わりを失い独りよがりの自己満足に陥って、主体的で自由な人格としての言を

失っています。

 こうした私たちの現実に、神の「言が肉体となって宿」りました。交わりを生み、本当の対話を生む神の言が、私たちと同じ肉体

をもった人間として来てくださったのであります。これがイエス・キリストのご降誕、クリスマスの出来事です。では「わたしたちの

間に宿られた」
とは、具体的にどういうこと事でしょうか。

 預言者イザヤは「霊妙なる議士」と言っています。これは驚くべきカウンセラーと言う意味です。カウンセラーには三つの働きが

あります。第一は、心を傾けて聞き入ること、第二は、その全てを無条件に受け入れること、第三は、指示しないこと、この三つです。

イエス様は罪人を見た時、また他国の手先になって法外な税金を取り立て、私腹を肥やしている徴税人を見た時、更に不道徳のそしり

を免れない遊女を見た時、その罪と不正、不道徳を批判するのではなく、そのあるがままの姿をジッと見つめ、あるがままの全てを

無条件に受け入れて、その場所に身を置き食事を共にされました。そして、その罪の全てを己が命をもって十字架上に負われたので

あります。イエス・キリストの十字架によって天の扉が開かれ、神への命の交わりに立ち帰って行く道が開かれました。

救い主イエス・キリストの御降誕を喜び祝い、心から主の栄光を讃美しましょう。










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