「見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないであろうか。……   

      九十九匹の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

= ルカ福音書 15 : 1 – 7 =



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月報巻頭言集
 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2018年7月
  有名な百匹の中に一匹の、迷い出た羊のお話です。聖書は神と人間との関係を、羊飼いと羊に譬えます。ここで問題なのは迷い

出た一匹の羊です。これは、独りぼっちになって生きる目的を失い、この人生をどう生きて行ったら良いのか分からなくなって、

途方に暮れている人の姿です。そしてこの迷い出た羊を、主イエスは「罪人」と言っています。聖書が罪人と言う時、それは人殺し

や泥棒の罪を言うのではありません。罪と言う言葉(ハマルティア)は、的を外すという意味で、自分の生きている方向が “的” を

外れていることを言います。つまり、その命の所在、目的が分からなくなっている姿です。

  ここで羊飼いは「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回」りました。ここで強調されていることは、

失われた一匹、即ち失われた人間の魂です。羊飼いはその羊を見つけ出すまで捜し求めて止みません。何故そんなに熱心に探すの

でしょうか。詩篇に「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられる」(27:10、口語訳)とあります。生まれながらに

して、その命の拠り所も知らずに、途方に暮れている私たちを、神は憐れみ、尊い価値ある者と見て下さっているからです。

  よく考えてみますと、何千年遡っても、またこれから何万年後にも、この私と全く同じ顔をした人間、同じ人物は一人もいない

のです。後にも先にも、あなたも私も、神の前ではかけがえのない唯一の存在として覚えられているのです。

  私たちは自分を自分で評価して、傲慢になったり落ち込んだりします。しかし、この神こそが本当の私をご存知なのです。

そして神はどんな私であっても、かけがえのない大切な者として既に愛して下さっているのです。

  私たち人間関係においても、相手が自分の思い通りにならないわがままな人であっても、なおその人の中に、神に創造された神に

愛されている人としての尊さを見出そうとすることが大切です。そこに真実の愛があります。

主イエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11)と言われました。そして、迷い出た

私たちの罪の重荷の一切を、十字架上に負って下さったのです。現代人は愛されるに足るか、と言った人がいます。そうではありま

せん。現代人も既に神に愛されているのです。











 






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