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月報巻頭言集
 泉北伝道所 牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2016年9月
 この聖書の個所は、13章の「種を蒔く人の譬え」に続く、「毒麦」の譬え話であります。主イエスはここで、何を何に譬えて

おられるのでしょうか。それは24節にあるように、「神様が支配しておられる『天の国』とは、『ある人』(主イエスであり、

主イエスの弟子達であり、また現代の宣教者・牧師また信仰者であり、またキリストの教会でもあります)が『良い種』(神の言)

『畑』(主イエスの当時の世界であり、現在の世界であり、今後の世界でもあります)に『蒔いている』状況に極めてよく

似ている」と仰っておられるのです。このまま順調に行けばきっと、良い麦が豊かに取れるだろうと世の人々は期待しています。

けれども、「人々が眠っている間に、敵が来て、良い麦の間に『毒麦』を蒔いて行った。」と言われております。パレスティナ

地方では、毒麦とは、良い麦(小麦)に極めてよく似ていて、穂が出て初めて気が付くものなのです。毒は種の中に寄生する

菌類によって生じる麻酔性アルカロイドに起因すると言われております。『宣教者』が御国の到来のためにと熱心に『御言葉』

を宣べ伝えている間に、いつの間にか一緒に生えている『毒麦』に、驚いている様子が分かります。

 それで、種を蒔いた主人の下僕達は主人に、「畑(この世)にはよい種(神のみ言葉)をお蒔きになったではありませんか。

どこから毒麦が入ったのでしょうか。」と問います。この問いに対して、主人は直ちに答えます、「それは、敵の仕業だ」と。

『敵』とは、良い種(神のみ言葉)を、台無しにしようとする『悪魔』の事です。それが典型的に現れている聖書の個所は、

創世記3章以下の『蛇の誘惑』の個所です。そこでは、エデンの園に神様が創造された最初の人アダムとエバを神様から離反させ

ようと、言葉巧みに近付き、遂にそれに成功します。この悪魔の業はこの前の聖日の説教で申し上げましたように、私達の周りに

絶えずいて、私たちを神様に反抗させようとねらっています。それは、御言葉という福音の『種』が、私達の中で成長することを

妨げている『罪の働き』そのものです。しかし、毒麦は、良い麦が成長するにつれて成長するものであり、神の国の成長は一面で

必ず、毒麦をも伴うものであります。

 そこで、僕たちは、「では、これから直ちに毒麦を抜きに行きましょうか。」と主人に聞きますと、その答えは意外にも、

「いや良い麦の刈り入れまで、育つままにしておきなさい。」というものでした。『刈入れ時』とは、言うまでもなく、『世の

終わり』、『終末の裁きのとき』を意味しています。何故、育つままにしておくのか、それは良い麦も、毒麦も収穫のときまで、

極めて似ているから、毒麦を成長途中で抜こうとすると、良い麦まで抜いてしまうからです。ですから、「刈入れ時には、毒麦

を集め、焼いてしまい、良い麦は、集めて倉に入れよう」と主人は言います。このことは、教会の中でも、起こりますし、教会と

国家(この世)との関係でも起こります。私達の今の世の中でも、得体のしれない悪が氾濫していますが、私達はこの悪を直接

滅ぼそうと思ってはならないのです。神様が悪をも最後のときまで、育つままにされているのであり、神様は終末時に全ては解決

してくださるのだから、私達は先走って人を裁いてもならず、私達の教会も、最後の時まで希望を捨てず、忍耐と喜びを持って、

歩み続けるようにと召し出されているからです。


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  「刈り入れまで、育つままにしておきなさい」 マタイによる福音書 13章24節~30節