ここでは、私達の祈りの内容と方向性について説かれています。14節では、《何事でも、神の御心に適うことを私達が願うなら、
神は聞き入れて下さる。これが神に対する私達の確信です。》とヨハネは私たちに語りかけています。ヨハネは、3章22節と33節で、
《神に願うことは何でもかなえられる。私達が神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・
キリストの名を信じ、この方が私たちに命じられたように、互いに愛し合うことです。》とも語っています。ですから、「私達が
神の独り子イエス・キリストの名を信じ、私たち同士が愛し合うなら、何でもあなた方は、神様に願いなさい。」と言われているの
です。私達に、“本当の信仰”があるのかどうかは分かりません。ただ間違いなく言えるのは、“私達は、キリストの名を信じて
いる”と言うことだけです。けれども「それだけで十分である」と、主は言われるのです。そして、もう一つは、私達が互いに愛し
合うなら、どのような神様に対する願いも、「すべて聞き届けよう」と仰っておられるのです。驚くべき恵みのみ言葉であります。
私達は、昨年、神様の大いなる御業を目にすることが許されました。28年間の願いであった会堂が建設できたことであります。
そして更に神様は、伝道所に前進を望んでおられます。それは、“泉北教会”の建設と言うことであります。勿論まだ10年、20年、
30年掛るかもしれません。けれども、“もうすでに”、伝道所の外から、それを応援しようと言って下さっておられる方々が居られ
るのです。感謝があふれます。伝道所の歩みは、少し増していますが、まだ微々たるものです。けれども、神様は必ず、この願いを
聞き届けて下さいます。私達は神様の喜びの掟、すなわち“御子イエス・キリストの名を信じ、互いに愛し合う”ということを守る
ことを、求められています。教会は、《全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝える》ために建てられるもので
す(マルコ16:15)。
また、同時に、《あなた方が私につながっており、私の言葉があなた方の内にいつもあるなら、望むものを何でも願いなさい。
そうすれば、かなえられる。》とも主イエスは仰っておられます(ヨハネ15:7)。「私達が毎週、神様の御言葉を礼拝で聞き、その
言葉の内に留まっているなら、」ということです。もし私達が、キリストのみ言葉の内に留まらず、互いに愛し合わないならば、
私達の願いがかなえられることはありません。
死んで四日も経っているラザロの墓の前で、その姉妹マルタに対して、《イエスは言われた、「もし信じるなら、神の栄光が見られ
ると言っておいたではないか」と。イエスは天を仰いで、言われた。「父よ、私の願いを聞き入れて下さって感謝します。私の願いを
いつも聞いて下さることを、私は知っています。」》(ヨハネ11:40~)私たちもまた、主イエスと同じ様に、「祈りはすでに聞き届けら
れた」と確信を持つことが許され、勧められているのです。