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月報巻頭言集
 泉北伝道所 牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2017年3月
 この聖書の個所から、私達は、「主イエスの12人の弟子達、また、それ以降の大勢の主イエスの弟子達を、受け入れる信徒の 

人達の幸い」という趣旨に受け取ることができるのですが、よく読んでいただくと、その本来の意味は、「主イエスのみ言葉を語る

弟子達の幸い」がまず述べられているのです。もちろん、「主イエスの弟子達の幸い」は、同時に、「その言葉を聞く信徒たちの

幸い」でもあるので、このみ言葉を、「私達すべての者に対する、主イエス・キリストの深い祝福の言葉」であると、理解する事が

できます。40節で語られていますことは、「私たちが父なる神様に受け入れられるか否か」は、ただ、「主イエスの弟子たちを、

受け入れるか否かだけである」と言われているのです。驚くべきことです。   

ここで言われています、「受け入れる」という言葉は、現代の日本ではほとんど使わない言葉です。その元々の意味は、「(その

人を客として)迎える、歓迎する」という意味です。私たちが神の子とされるのは、「信仰が深い」からでもなく、「行いが正しい」

からでもないのです。主イエスは、「私は、私達の信仰が深くないのも、行いが正しくないのも良く知っている」。けれども、

「それ故には、私はあなた達を裁きはしない」と仰っておられるのです。

ここでは、「極めて単純なこと(弟子を受け入れること)」だけが問題にされているのです。ここでは、「信じること」さえ要求され

ておりません。ただ「主の弟子たちを受け入れる(歓迎する)こと」だけが要求されているのです。それは、しかも「主イエスを受け

入れる」ということでは、ないのです。私達は、イエスと言う人を、現代において、簡単に受け入れることができますか、生まれつき

目の見えない人を、いとも簡単に、その目を開けられたというような事を、しかも、私達の眼には今はもう見えない人を、受け入れる

ことができますか。けれども、主イエスの弟子であれば、私達は比較的受け入れやすいのではないでしょうか。

実は、この主イエスの弟子達と言うのは、教会の中の牧師・伝道者だけではなく、主イエスの後の時代の教会等の巡回伝道者のことが

考えられているのです。「主イエスの弟子たちを受け入れる者は、主イエス御自身を受け入れるのであり、主イエスを受け入れる者は、

神様御自身を受け入れるのだ」という、一連のつながりです。ですから、私たちに求められていますのは、「主イエスの弟子たちを、

まず受け入れること」だけです。つまり「まず、主イエスの弟子たちを受け入れるならば、主イエスを受け入れるようになり、父なる

神を受け入れ、信じるようになる」と“保証”して下さっているのです。《イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。

私を通らなければ、誰も父のみもとに行くことはできない。」》(ヨハネ14:6) この主イエス・キリストのみ言葉は、この事をも言っ

ておられるのではないでしょうか。  

また、「主イエスの弟子達」とはキリスト後2000年経っている現在は、誰のことを言っているのでしょうか。それは、御言葉を人々に、

取り次ぐ「牧師」であり、「伝道者」なのです。その意味で、「牧師」・「伝道者」の使命は「重大」です。けれども、私ども牧者は

その責任の重大さに慄きはしません。なぜなら、神様が約束されたように、御言葉を取り運ぶ者には、「聖霊が豊かに注がれ、そのこと

を可能にしてくださる」からです。

  42節の御言葉は、「ただ水を与える人を励ましている」だけなのではありません。むしろ水を受ける弟子たちを励ましているのです。

同時に、弟子達にしたことは、神の御子イエス・キリストにしたことになる故に、御言葉に従う者は誰でも、神様の中に「存在している」

のです。私たちが御言葉のもとに立つことは、それほど大きなことなのです。御言葉に仕え、御言葉を宣べ伝える者は(伝道者も、また

その言葉を信じる者)すべて、常に神様と共にあるのです。神様が共にいて下さるのです。神と共にある者は、例え、家族から見捨てら

れても、国から見捨てられても、「インマヌエルの神が在したもう」から安らぐことができるのです。ですから主イエスは、私達に、

次のように語っておられます。《小さな群れよ。恐れるな。あなた方の父は、喜んで神の国を下さる。》(ルカ12章32節)

















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   「イエス・キリストを受け入れる人の幸い」 マタイによる福音書 10章40節~42節