「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。……霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、……絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(10-18節)
人間の生きて行く所に戦いのない世界はありません。生活を支える経済活動も立派な戦いです。受験競争も出世競争もあります。
生存のための闘争の場は今も昔も変りません。何事も戦わなければ勝利を手にすることはできません。実は、信仰生活にも戦いがあり
ます。信仰は恵みによって与えられた賜物であると同時に、戦いなしに勝ち取ることはできないのです。何故なら、世俗の力、悪の力、
即ち、神を神としない人間の野心と欲望の渦巻く中に、私たちは生きているからです。
そうした中で世俗に流されずに、信仰に堅く立って生き抜くためには、戦わなければならないのは当然です。今日のキリスト者は
あまりにも消極的で無防備です。戦いの態勢ができていません。そして勝つために大切なことは武装することです。しかし武装と言っ
ても、血を流して戦う武器を持つことではありません。「神の武具を身に着け」 「悪の諸霊」(13,12節) と戦う武装です。私たちは、この
神の武具による武装をしていないために簡単に悪魔の力に落ちて節操を失い、仕方がなかったと諦めてしまいます。
これらの武装には防備の武装、「真理の帯、正義の胸当、平和の福音を告げる履物、信仰の楯、救いの兜」(14-16節) があります。
更に大切なのは攻撃の武器です。それは「霊の剣、すなわち神の言葉」と「祈り」(17-18節) です。イエス・キリストが、あの荒野の誘惑で
悪魔の攻撃に負けることなく、打ち破ったのは、神の言葉によって戦われたからでした。