イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。(ルカによる福音書24:25~27)
  一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった、すると二人の目が開け、イエスだと分かった。
                      (ルカによる福音書24:32)


 



応援教師 山本 清   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2026年4月

 主イエスが復活された日、十二弟子以外の二人の弟子は、主が復活されたことを耳にしたものの、信じられないままに、

エルサレムから立ち去ろうとしていた時、復活の主イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩み始められましたが、二人の目

は遮られていて、主イエスに気づかずに、暗い顔をしていました。彼らは、主イエスが十字架に架けられて死んでしまわれ

たことによって、望みは打ち砕かれてしまい、この日に婦人たちから、主に出会ったことを聴いても、信じられませんでし

た。

 
そんな二人に、主イエス御自身の方から近づいて来て、一緒に歩き始められます。しかし、二人の目は遮られていて、

イエスとは分りません。これは私たちと同じです。

 
だが、主イエスの方から、大きな二つのことをなさいました。一つは、二人の会話に入って来られ、十字架から復活に至

る一連の出来事を、もう一度思い起こさせ、更に、旧約聖書の全体にわたって、来るべきメシアのことが預言されているこ

とを説き明かされました。こうして、聖書の言葉と主イエスの御業が結びつくことによって、復活の主イエスが共におられ

ることに気づくようにされました。

 
そのように、私たちも、礼拝において、聖書の説き明かしを受けることが欠かせません。しかし、それだけでは、二人の

目はまだ開かれませんでした。そのあと、宿に入って食事の席に着いた時、主イエスはパンを取り、それを裂いて二人にお

渡しになったとき、二人は初めて、そこに主イエスが共にいてくださることに気づきました。

 
このように、主イエスの復活を信じる信仰は、主イエスと共に食事の席について、パンとぶどう酒にあずかることによっ

て、主イエスの十字架と復活の御業の意味を知り、今も生きておられる主イエスに出会うことによって気づかされるのです。

これは、教会の礼拝において行われる聖餐を意味しています。御言葉の説教と共に行なわれる主イエスの食事にあずかると

きに、主イエスの復活を信じる者とされ、罪を赦されて、私たちも新しい命に甦ることが出来るのです。 

                                        (4月5日イースター礼拝説教より)





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