「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。・・・また主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
(使徒言行録20:32、35後半)
パウロは今、エフェソをはじめアジア州の諸教会の人びとを置いて去ろうとしています。この先、教会がどうなるのか、
心配の種は山ほどあります。しかし、パウロたちが伝えた恵みの言葉がある限り、神の恵みは受け継がれて行く、と確信
しているのです。だから、神と恵みの言葉とに委ねるならば、御言葉が教会を造り上げるのだから、何の心配もない、と
いうのです。
これは、私たちにとっても大きな慰めであり、励ましではないでしょうか。私たちも、自分が属する教会の行く末につい
て、高齢化が進む中で、将来を支える人材は育つのだろうか、という心配があります。一人一人の信仰生活の状態を見ても、
安定しているとは言えない人がおられるし、自分自身の信仰のあり方を見ても、不安になることがあります。しかし、私た
ちの足りない力で教会を支えるのではないのです。神の恵みの御言葉が、私たちの教会を造り上げるのです。御言葉の力を
信頼し、御言葉に委ねている限り、教会は崩れることはないし、むしろ造り上げられ、更に恵みの言葉が次の世代へと受け
継がれて行くのです。
また、「受けるより与える方が幸いである」という言葉は、人から何かを貰うとか、世話になるよりは、人に何かを与え
るとか、人の世話をする方が、幸せな気持ちになれる、という意味に受け取られて、親切運動や福祉活動を奨励する言葉の
ように受け止められ勝ちですが、主イエスが言わんとされたことは、そんな余裕の中から人助けをする事柄ではなくて、他
人のために自分の身を削って仕えることを言っておられるのであって、主イエスの十字架を指し示す言葉です。主イエスは
正に、自分が誉れや栄光を受けるのではなく、他人のため、私たちのために自分の命を与えてくださったのです。
私たちは、教会に繋がることによって、御言葉の恵みを受けた者であります。そのことに感謝すると共に、私たちの周り
には、その恵みを受けていない人びとが多くいて、経済的、社会的に苦しい立場にある方、信仰的に弱い人もいます。
しかし、御言葉を聴いて、その恵みを受け取ることが出来れば、弱さを乗り越えることが出来ます。そうした恵みの御言葉
を受け継ぐ者とされたいものです。 (1月4日礼拝説教より)