「わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』すると、主は言われました。『行け、わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」(使徒言行録22:19~21)

 



応援教師 山本 清   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2026年3月
 

 パウロは使徒言行録22章で、エルサレムから帰って来て、再び主イエスに出会ったときのことを上記のように述べている。

 パウロがエルサレムの神殿で、我を忘れた状態で祈っていたとき、主が現れて言われたことは、「急げ、すぐエルサレムか

ら出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである」(18)ということでありました。

 
これはパウロの思いとは違っていました。パウロはあくまでもユダヤ人を愛していて、回心して、これまでの生き方を変え

られたとしても、その自分の姿を通して、ユダヤ人にキリストを証しすることが使命だと考えていました。ところが主イエス

は、「あなたが証しすることを、人々は受け入れない」と言われます。これに対してパウロは、自分がキリスト者に対してど

れほどひどい迫害を加えたかを語って、そんな自分がキリスト者になったことを語ることによって、ユダヤ人も耳を傾けるの

ではないか、と反論します。

 
すると主イエスは表記のように、「行け、わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と言われたのであります。―

―パウロは主イエスに出会って回心をしたのですが、またしても、自分の考えを主張しました。そんなパウロが、もう一度主

イエスによって砕かれなければなりませんでした。パウロはこうして、二度目の回心を経験したのです。

 
私たちもまた、主イエスに出会うまでは、自分なりの考えをもって生きていました。それが、キリストとの出会いによって

大きく変えられました。しかしながら、私たちはクリスチャンになってからも、やはり自分流の信仰生活をしてしまいがちで

あります。

 
礼拝というのは、キリストとの出会いの場です。そこでは、キリストによって自分の思いが打ち砕かれて、主イエスの前に

ひれ伏して、主イエスの指し示される新しい生き方・新しい場所へ遣わされるのです。もし礼拝の場が、自分のやり方・生

き方を正当化する場になっていたり、キリストの言葉を聞いても、自分の思いから向け出そうとしないなら、キリストを邪魔

したり、迫害ししていることになりかねません。私たちはキリストに捕らえられた者として、その御指示に従うべきです。
             
                                            (2月8日の礼拝説教より)

 



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