この聖書の個所では、二人の姉妹であるマルタとマリアと主イエスとの出会いと彼女らの奉仕についての出来事を
物語っております。
イエスと弟子達は38~39a節に示されていますように、エルサレム近郊のベタニアで、マルタとマリアという二人の姉妹の
家に迎えられました。イエスはその後、彼女らの家庭と親しくされ、時々訪問しておられたようです(ヨハ11:1~46、12:2~3)。
10:39b~40 にありますように、ここに二人の姉妹のイエスに対する態度の両極端を見ることができます。
姉マルタは、かいがいしく立ち働き、「ああ、忙しい、忙しい。イエス様を歓迎することは嬉しいことだけど、この妹の
マリアの態度は何なの?私に少しも協力せずに、ただイエス様の足元にじっと座って、話を聞いているだけではないの?」と
恐らく爆発寸前だったのです。よく気が回る人は、得てしてマルタのように、気のまわらない人を非難します(教会でも)。
そして彼女は、主に向かって(つまり神に向かって)、詰問し、挙句の果てに、“命令”までするのです。けれどもこれは、
主イエスに対する私たちの態度でもあるのではないでしょうか。「わたしの教会(家庭)は、あれも不足、これも不満足、
神様は、なぜもっとまともな教会(家庭)にして下さらないのか?」と思っているのではないでしょうか。
けれども、《妹マリアは、ただ、主の足元に座って、その話に聞き入っていた。》とあります。多くの場合、私達は
マリアではなく、マルタになっています。41~42節では、《主は、お答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことで
思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」》
とあります。この心取り乱しているマルタに対して、主は決して不快感をも示さず、むしろ、マルタをやさしく諭しておられます。
ここにも、主の愛の深さと豊かさを見る思いが致します。
主イエスは、私達がこの人生という大海原また、闇の中を生きて行く上で、最も大切なことを実にあっさりと、大胆に教えて
下さいます。「人生において、何よりも優先しなければならないことは、ただ一つ。それは、「私達が、まず“神のみ言葉に、
何よりも優先的に、聞き従うということ”。決してただ忙しく立ち働くことではないということ。」それは、宗教改革者カルヴァンが、
ジュネーブ信仰問答集の冒頭の第 1 問とその答えの中で、「私たちの人生の目的は何ですか?」「それは神を知ることです。」と
答えている通りであります。
私達は、神様に「この多忙極まりない世にあって、マリアのように“ただ主の足元に座って、その話を聞きいる信仰”を私たちに与え、
“私たちがあなたの前から失われることのないように”、どうぞお導き下さい」と祈りましょう。
「ただ、主の足元に座って、その話に聞き入る信仰」ルカによる福音書 10 章 38~42 節