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月報巻頭言集
泉北伝道所 牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2015年9月

本月の聖書の個所は、「山上の説教」の最後の部分です。7節の「求めなさい」、「探しなさい」、「門をたたきなさい」と

いう言葉は日本文では、「現在形の動詞の命令形」ですが、原文では、単なる現在の命令動詞ではなく、継続の意味を含んでいます。

従ってこれらの言葉は、「求め続けなさい」、「探し続けなさい」、「門をたたき続けなさい」という意味になります。

“諦めてはいけない”、相手(実は相手は神様ですが)が根負けをして、「仕方ない、もう開けてやろう」と観念するまで、

「求め続けなさい」、「探し続けなさい」、「門をたたき続けなさい」と命令されているのです。神様は、いわばご自分の手の内を

曝け出しておられるのです。この親切さ、それは「神の愛」であります。私達は、その事に安心して、従えばよいのです。むしろ

神様は私達に、安心して「この私の言葉に従え」と命じておられるのです。また、ここで言われている、「求め続けなさい」、

「探し続けなさい」、「門をたたき続けなさい」ということの具体的な意味は、その相手が神様である以上、当然それは「祈り」

という形を取ります。従って、「あなたがたは、祈り続けなさい。そうすれば、私はその祈りを必ず聞く」という「ご命令と約束」

なのです。

もうひとつ、ここで注意したいのは、「与えられる」、「見つかる」、「開かれる」という言葉は、日本語では現在形に訳されて

いますが、原語では「未来形」で書かれています。原語における、「未来形」は、単なる未来を表しているのではなく、

「意志または約束」を表していると言われています。英語でもその痕跡が残っています。つまりこの「与えられる」、「見つかる」、

「開かれる」という言葉は、「神様が、『私はあなたに間違いなく与える』、『私はあなたに見つけさせる』、『私はあなたのために、

門を開く』と約束なさっている」のです。ですから、「『求め続け、探し続け、門をたたき続けよ。そうすれば、必ず私は、あなたに

与え、見つけさせ、門を開く』と神様は、約束なさっている」
のです。ですから、私達は安心して、信頼して、そのご命令に従えば

よいのです。「安心して、信頼して、そのご命令に従う」、そのことが「信仰」なのです。別の聖書の個所で、「祈り求めるものは、

既に得られたと信じなさい。そうすればその通りになる」と言われています。非常に大胆な言葉です。勿論、祈り求めることが

いつ実現されるか、どのように実現されるかは、神様がお決めになることですから私達には判りません。時期や方法については、

私達は先走ってはなりません。けれども必ず適切な時期に、適切な方法で神様は私達の熱い祈りと願いを聞いて下さるのです。(もし、

どれだけ祈ってもかなえて下さらないなら、それはあなたにとって不必要なものであるか、或いはそれ以上の別の賜物を既に与えて

下さっているか、あなたを高慢にしないためなのです。)

9節から11節では、「何を祈るべきか」ということが語られています。ここでイエス様は、「パン」とか、「石」とか、あるいは、

「魚」とか「蛇」等と仰っておられます。「パン」とか、「魚」というのは判るとしても「石」とか「蛇」というのは、似てはいますが、

何か奇妙な感じがしませんか。「石」というのは、実は、石打ちの刑などの時に投げる「石」であり、「蛇」というのは、実は人類の

始祖であるアダムとエバの物語に出てくる「蛇」(神様との契約を破らせて、人類に死をもたらせた蛇)を象徴しているのではないかと

私は、思っています。つまり、「石」も「蛇」も、「死」の象徴なのです。

 一方、「パン」と「魚」は「命」を象徴しています。従って、「パン」と「魚」は「神からの命の象徴」であり、「石」と「蛇」は、

「死」の象徴
なのです。つまりあなたがたは父として自分の子供に、死を与えるのではなく、命を与えるように、いやそれ以上に、

「父なる神は、あなた方すべての人間に対して、死ではなく命を与えようとしておられる」ということなのです。11節で言われている、

「良き物」とは、「神の命(いのち)」です。それは、ルカによる福音書11章13節に、「まして天の父は、求める者に聖霊を与えて下さる」

と言われていますように、そこでは良きものが聖霊に変わっています。「聖霊はを与える最も良き神様からの贈り物」だからです。

 「命」をもっておられるのは、神のみであり、私ども人間は、いわば、神様から一時的に「命」を貸し与えられている存在に過ぎません

から、せいぜい100年程度で、「命」がなくなるのです。私達は、今風に譬えてみれば、賃貸期限が来れば貸主に返さなければならない、

マンションの借主に過ぎないのであります。同時に、私達はこの貸主が、どれほど豊かな、恵に満ちた貸主であるかということもよく

知っているのであります。

 最後に、12節です。この個所は、7節以降のいわば結論であり、同時に、5章から始まります「山上の垂訓」の総括の言葉でもあります。

マタイ福音書は、この節で、結論として、「良き物」を私たちが、神様に求めるだけではなく、「あなたがたの父なる神は、求める者に

良いものを下さるのだから、あなたがたも、人に対して「良き物」を与えなさい、つまり、あなた方が人にしてもらいたいことは、

あなたがたも人にしなさい。」と命じておられるのです。そしてこのことは、「人を愛すること」なのです。なぜなら、このことが、

聖書全体の求めていることであるからです。この「他者への愛」を人は真剣に神に求めなければならないのであり、漠然と

「人を愛すること」は大切だという程度に考えて実行できることではないのです。真剣に祈り求めるべきことなのです。








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「求めなさい」  マタイによる福音書 7 章 7~12 節