月報巻頭言集
泉北伝道所  牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2014年7月

本日の個所で、パウロは、「フィリピの教会の人々のことを思い出すごとに、いつも喜びを持って祈っている。

あなた方が最初の日から、今日まで、福音に従って歩んでいることを知っているから。」と言います。

つまり「私達が洗礼を受けた日から今日まで、イエス・キリストに従って歩んでいる」ことを彼は喜んでいるのです。

誰でも、洗礼を受けた日の礼拝と説教には特別な思いを持っています。その日が、自己の生涯の転回点になったからです。

けれども、もっと大切なことは、「その与えられた信仰、与えられた喜びを、正に今日まで、持ち続けてきたこと」です。

つまり、「その与えられた信仰、与えられた喜びを、正に今日まで、神様が保ち続けて下さったこと」です。

このことが私たちの人生における「最大の奇跡」なのです。思えば、信仰の危機は何度もあったでしょう。

弱い私たちが、「信仰」を持ち続けて来たことこそ、神様の何よりも生きておられる証拠ではないでしょうか。

私達とほとんど同時に洗礼を受けた方々でも、今は教会に足を運べない人も多いのです。

「あなたがたの中で、善い業を始められた方」とは「神様であり、主イエスであり、さらに言えば、聖霊」です。また、

「善い業」とは、「信仰」あるいは、「福音」と言えます。彼は、「私達の信仰を創造された方」は、「神様であって、私ではない

と言っているのです。また「長い信仰生活を送って来ることができた」ということは神様の大きな祝福ですが、それを何か

「自分の功績のように」考える人がいます。それは大きな間違いです。私たちに信仰が与えられたのも、私たちが今日まで

信仰を保ち続けて来ることができたのも、「ただただ、神の憐れみによる」のです。そのことを私達は深く認識しなければ、

その人の信仰はいつか神様が、取り上げてしまわれます。「神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、頑なにしたいと

思う者を頑なにされる」
からです(ロマ9:18)。


 「キリスト・イエスの日までに」とは、「世の終わりの時・イエス・キリストの再臨の時までに」ということです。即ち、

歴史には終わりがあるということです。それは、総決算の時であります。私達現代人は、歴史には終わりがなく、

色々と問題があっても、このような人間の歴史が、無限に続くと思っている節があります。しかし、聖書はそのようなことは

全く言っておりません。始まりがあったということは終わりもあるのです。つまり、私たちの苦しみが意味もなく延々と続き、

清算されることもないというのではないと、言っているのです(黙示録)。また、この終末の時は、裁きのためだけに

あるのではありません。終末は完成の時でもありますから、私たちの労苦もそこで解かれるのです。ですから私達が今後も

神の言葉に従い続けるならば、私達にとって、終わりの日は喜びの日となります。


 9節の「知る力」とは、「知識」であり、「見抜く力」とは、「洞察力」とか「理解力」でしょう。

この「知る力と見抜く力」とは、「理性的に」信仰を得ることでしょう。このことは譬えて言えば、「聖書全体」と

「信仰告白」との関係と言っても良いでしょう。「信仰告白」とは、膨大な聖書の言葉の中から、その信仰の核心を、把握

しやすくするために纏めたものです。9節後半では理性的な理解が進むにつれて、心理的な理解(愛)も深まり、愛が深まると

理性的な理解も深まると言っています。


 10節では、「理性的な理解力」と「心情的な愛」とが相まって、「本当に重要なことを見分けられるようになるのだ」

つまり「何が本物であるかを見分けることができるようになる」と言っているのです。一般的には、何が本物であるかを

見分けることは、そんなに簡単なことではありません。18世紀前の有名な錬金術の話は皆さんもご存じでしょう。

何でも「人の話を鵜呑みにしてはいけない、自分でも可能な限り良く調べなさい」ということでもあります。

信仰や教会や神学の歴史は偽物との戦いの歴史でもあるのです。


 さらに、10節後半と11節では、私達は「キリストの日」つまり、「終末の日」に向かって生きているのだ、歩んでいるのだ」

ということを彼は、繰り返して言っています。「私達はあてどのない旅をしているのではなく、終着点を持っている、それは

神の国なのだ」と言っています。「清い者」とは「純粋な」という意味で、「本当に重要なことを見分けることによって、

『聖書の教えに忠実な信仰』を持っている者」ということになります。


 「私達は『キリストの日』つまり、『終末の日』に向かって生きているのであり、歩んでいるのです」から、終末の日に、

イエス・キリストから誉めていただけるものを求めて生きて行かねばなりません。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに

思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

(ルカ10:41) 必要なただ一つのこととは、「イエスを知ること、イエスに従うこと」、ただそれだけなのです。
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「本当に重要なことを見分ける」・フィリピの信徒への手紙 1章3節~11節