月報巻頭言集

 アドベント(待降節)に入ると、教会の中もクリスマスの飾り付けがなされ、豊中中央教会の礼拝堂の前にはアドベント・クランツの

灯がともされます。

 この期間にクリスマスを祝う会もいろいろと持たれますから、何となくクリスマスの前祝いの時期のようですが、アドベントとは

「来る」という意味であって、主イエスの来臨を意味する言葉です。

 主の来臨。それは二千年前に、主イエスが馬小屋の幼な子としてお生まれになった時に出来事となったことでした。そしてもうひとつ、

この世の終わりの時に、世界の支配者として来られる時に、再び出来事になります。わたしたちはこのふたつの来臨の間の時を生きている

のです。

 そこで生きるわたしたちの姿勢は「待つ」ということです。キリストを信じる信仰者であってもなくても、この世においてすることは

大して変わりません。しかしその基本姿勢において異なります。わたしたち信仰者は、キリストを待っている者だということです。

今をしっかりと生きつつ、目は世の終わりを見ています。

 主が来られる。それは、わたしたちと神との間の距離を示します。簡単には「我が神よ」などとは言えない深い断絶が、わたしたちと

神との間にある。そこを超えて来られるのです。そこには神さまの決断があります。人を救わずにはおかないという不退転の決断です。

そして決断は行動になる。行動は必ずその目的を達するでしょう。それが、主が来られる、という出来事の中に含まれている意味です。

 それだけ深い関心を、神がこの自分に払っていてくださる。それを喜ぶのがクリスマスの喜びです。だから大勢で楽しく過ごすことだけに

クリスマスの喜びがあるのではありません。一人一人が、自分のところに救い主がお出でになったのだと心から受け入れて過ごす時にこそ、

その喜びの味わいは深いでしょう。

 新しい歌を主に向かって歌え、と旧約の詩人は詠いました。今までこの世が知らなかった歌。この世のどんなところからも生まれて来ない

歌。そんな新しい歌を、あなた方は歌える。主が来られるという喜びの出来事を知っているあなた方は歌える。そう言うのです。そして

それは同時に「全地よ、歌え」という言葉になる。パレスチナの小国イスラエルが、自分より遥かに大きく強い国々に向かって語る、

身の程知らずの命令です。それだけ、主の来臨の喜びは大きいのです。

 今は教会の中だけに響くクリスマスの歌声が、必ず全地に響きわたる時が来ます。

わたしたちはその日を信じて待つのです。

詩編96編 1節~13節         豊中中央教会牧師 山川 聡

泉北伝道所 月報 2013年12月
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