-主による信仰の継承-

心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。 (マタイによる福音書5:3)
 わたしはお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。
イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。
彼らは養われて憩い彼らを脅かす者はない。(ゼファニア書3:12~13)


 



応援教師 河田俊郎   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2026年8月
  『マタイによる福音書』が記すイエス様の公生涯において、最初のまとまったみ言葉は5章~7章の「山上の説教」と呼ばれるところです。今月からはその冒頭に記されているイエス様が教えておられる8つの「幸い」を順番に聴いていきたいと思います。
 
「心の貧しい」とはどういう意味でしょうか。それは神様との魂のつながりが欠乏していることです。
 
創世記2章7節にはこのようにあります。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
 
私たちの内には神様とつながる命の息が満ちて、神様と交わり、生きる者とされています。これは聖書の人間理解と創造論の基本です。ところが、現実には私たちは日々の慌ただしさのなかで、神様を想うこと少なく、豊かな交わりに生きているとは言えないでしょう。しかし、神様は手を差し伸べられ、「幸い」を与えてくださるのです。
 
今月、ともに読まれますゼファニア書3章12~13節には神様のみ言葉が預言者の口をとおして語られています。ゼファニア書は紀元前700年代、バビロン捕囚のあった時代に書かれた文書です。捕囚とは古代中東の労働力確保の一般的な方法でした。バビロニアに連れていかれた人々は苦難に満ちた歩みを強いられました。一方で、南ユダの地には捕囚から取り残された人々が残りました。彼らも立ち直ることはできなかったのです。
 
その人々は13節にあるように「残りの者」と呼ばれました。この言葉は大切です。捕囚の起こる前の時代、イスラエルの民は神様に対して背きの罪を犯していました。その民に神様の裁きとしての国の滅亡があったのだ、と当時の預言者などは理解しています。
 
しかし、何もかもが失われたのではありません。神様は少数の人々を残し、彼らの信仰を守り導きかれました。神様は再び、イスラエルの民の新しい信仰の歩みと世代の歴史を創りあげてくださったのです。
 
イエス様はそのような旧約聖書に記されている信仰を踏まえて教えておられるのです。神様は私たちを導かれ、たとえ信仰の継承が途絶えそうに見えても、必ず信仰を回復させ、新しい世代に継承させてくださるのです。
 
信仰の継承が叫ばれている今、まず何よりも信仰の継承と伝道の業は神様が主導されるものであること、また私たちはそこに召されて、伝道に参与させていただいていることを覚えたいと思います。

 

                                    

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      「 心の貧しい人々は幸いである 」