4:18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその 兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。4:19イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。4:20二人はすぐに網を捨てて従った。 4:21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。4:22この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。 (マタイによる福音書4章18~22節)

                                                                      

 



応援教師 河田俊郎   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2026年7月
   私たちはかつてどのようにキリスト者になり、今を歩んでいるのでしょうか。また、これからどのように歩んでいくの でしょうか。
 
そもそも信仰とは人生のさまざまな段階においてそれまでの歩み、たとえば、幼少期や思春期、青年期などでの出来事、
興味・関心、仕事・キャリア形成、家族の様子、健康などの変化に伴って、日ごろの気持ちが変わっていく、あるいは信仰
への態度も一生涯にわたって同じではありません。
 
しかし、キリストはそのような私たち人間の現実を見つめておられ、いつも愛と慈しみとをもって捉えていてくださいます。
 
イエス様が弟子たちにかけられた「わたしについて来なさい。」というみ言葉は、今の私たちにも同じように語りかけてくださっています。
 
イエス様は伝道活動のはじまりから、同労者を求めて、地元ガリラヤの漁師たちを弟子として召されました。福音書を記したマタイはイエス様のみ言葉を「わたしについて来なさい。」とたいへん簡潔に描いています。また、ガリラヤの漁師たちもすぐにその場で従ったと短く書いています。そこで何が起こったのか、またそこに登場する人たちの気持ちをくわしくは語っていません。だからこそ、私たちはここで、神の子であるイエス様と人間とが出会ったことが、むしろ、鮮明に浮かびあがるのです。
 
もちろん、今の私たちの信仰の体験が弟子たちの体験とどの程度重なるかはわかりません。まして、自分の体験を言葉にすることは難しいですし、そのようにする必要もないかもしれません。
 
けれども、私たちにとってキリストとの出会いの体験は大切な想い出として信仰を強めてくれるものです。
「想い起こす」=アナムネーシス〔ギリシャ語〕)
 ですから、今月はこのみ言葉をきっかけに、自分がどのようにキリスト者になったのか、そして、これからはどのように歩んでいこうとするのか、を今一度省みたいと思うのです。


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     わたしたちはどのようにして
キリスト者になったのか
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