大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は、皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕え
て公の牢に入れた。ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、「行って
神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。
(使徒言行録5:17~20)
五旬節(ペンテコステ)の日に、主イエスの弟子たちに聖霊が降って誕生した初代の教会は、大胆にイエス・キリストの十字架
と復活の御業を語り始めると共に(使徒言行録2章)、神殿の前で施しを乞うていた生まれながら足の不自由な男を立ち上らせ、
歩かせたりしたので、民衆は非常に驚いて、ペトロとヨハネのところに集まって来ました(使徒言行録3:1~10)。そこでペトロた
ちは、神殿の「ソロモンの回廊」において、この人・を歩かせたのは、人々が十字架に架けて殺したイエス・キリストの名を信じ
る信仰によることを述べ(同3:11~16)、悔い改めて主イエスのもとに立ち帰るなら、神の祝福を受けることができると語りま
した(同3:17~26)。
ところが、当時のユダヤの宗教的・政治的指導者層を形成していた、祭司、神殿守衛長、サドカイ派の人々は二人を捕え、次の
日、最高議会の構成員を集めて、ペトロたちに、「何の権威によって、このようなことをしたのか」と尋問したので、ペトロは堂々
と、「ナザレの人、イエス・キリストによる」と答えたのです(同、4:1~12)。
このようなペトロたちの大胆な態度を見て、議員たちはひと言も言い返せず、二人を脅した上で解放するしかありませんでした
(同4:13~22)。
しかし、その後も、使徒たちによって、多くの癒しの奇跡が行なわれたので、大祭司やサドカイ派の人びとは、ねたみに燃えて、
使徒たちを捕えて、牢に入れました。ところが神は、そのような勝手なやり方をお許しになる筈はなく、夜中に天使が牢の戸を開
け、彼らは解放されたので、神殿の境内に立って、再び、「命の言葉」を告げ始めたのです同5:12~21)。
このような初代教会の姿勢と、その働きは、今の私たちの宣教のあり方にも、はっきりとした示唆を与えてくれています。私たち
が立つべきところは、神を礼拝する神殿である教会以外にはありません。そこに民衆が集められます。そして、そこでなすべきこと
は、命の言葉を残らず民衆に告げることと、民衆が悩み苦しんでいる現実の問題に、一緒に取り組むことであります。
(8月18日~9月1日の礼拝説教より)