「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒言行録2:38)
信者たちは皆一つになって、・・・心を一つにして神殿に参り、・・・神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒言行録2:44~47)
使徒言行録2章には、五旬節(ペンテコステ)の日に、弟子たちに聖霊が降って、ペトロが救いの福音を告げる最初の説教を
語ったことが記されているが、その後半の37節以下では、標記のように、(1)福音を聞いた者に対する悔い改めの勧めと、(2)聖
霊を受けるとの約束と、(3)信者たちの生活や、(4)最初の教会の様子が記されている。
① 「 悔い改め」とは、単に反省するとか、悪かったと思うことではなく、それまで神の方を向いていなかった者が、神の方
に方向転換することである。それは、単なる反省や懺悔とは違って、キリストの十字架による罪の清めの御業が、洗礼を受
ける人 に実現することであり、聖霊によって起こる奇跡の賜物である。
② 信仰者の生活として、四つの要素が記されている。第一の要素は、「使徒の教え」を聞くことで、それには、救いの福音
を聞くことと、倫理的な教えが含まれる。第二の要素は「相互の交わり」で、初代教会においては、すべての物を共有する
共産的な生活を送っていたようである。大切なことは、信者が自分の生活のことだけを考えるのではなく、互いに助け合っ
たということで、献金もその一つの有り方である。
③ 信仰生活の第三の要素として、「パンを裂く」ことが挙げられている。これは、今では聖餐式の形で行なわれているが、
それは、主イエスの十字架の犠牲を忘れないためのものであると共に、恵まれない人や差別を受けていた人も、社会的な
障壁を超えて一つにされることの見えるしるしでもある。
④ 信仰生活の第四の要素は、「祈ること」(42節)と「神を賛美すること」(47節)で、それは礼拝することであって、これ
らが信仰生活の中心に位置づけされていることが大切である。
⑤ 最後に、「すべての人に恐れが生じた」(43節)とあることに注目したい。「恐れ」とは、「畏敬」とか「畏怖」という
意味を持つ言葉で、神に対する畏敬の念が生じた、ということである。初代教会の人たちが驚くべき働きが出来るようにな
ったのは、彼らの精進努力の結果ではなく、聖霊の力を受けたからであり、その聖霊の力は、今もこの伝道所においても働
いているのである。 (6月30日 主日礼拝説教より)