イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、
幸いである。」
ヨハネによる福音書20:29
応援教師 山本 清
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2024年4月
主イエスが十字架につけられて息を引きとられ、墓に葬られた後、三日目の週の初めの日、朝早く、マグダラのマリアたちが
墓に行くと、墓の入口の石が取りのけてあり、中には主イエスの御遺体がなかった。マリアが泣いていると、二人の天使が現れ、
マリアが御遺体を取り去られたことを訴えつつ、後ろを振り向くと、そこに主イエスがおられた。最初は主イエスとは分からな
かったが、主イエスが「マリア」と言われた。こうして、復活の主イエス御自身が出会ってくださり、声をかけ合うこともでき
た。
その日の夕方、弟子たちがユダヤ人を恐れて家の中にいると、主イエスが入って来られ、「あなたがたに平和があるように」と
言われて、十字架に架かった際の傷をお見せになった。弟子たちは主を見て喜び、聖霊を受けて、罪を赦す権能をも与えられた。
さて、その場にいなかった弟子のトマスは、主の復活を信じられずにいたが、八日の後、弟子たちと一緒にいると、再び主イエ
スが弟子たちの集まっているところに来られ、真ん中に立って、同じように「あなたがたに平和があるように」と言われた後、ト
マスに向かって、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさ
い。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27節)と言われた。こうして、疑い深いトマスも主イエスの復活を信じるこ
とが出来て、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白することが出来た。
その後、主イエスはトマスに標記のように言われた。この言葉は、読み方によっては、素直に信じられなかったトマスを叱って
おられるようにも読めるが、そうではない。この主イエスの言葉は、トマス個人に対して言われたというよりも、後の信者たち、
そして、私たちに向けて言われた言葉である。主イエスは、目の前の弟子たちには十字架に架かった御自分の体を見せて信仰へと
導かれたが、肉眼では主イエスを見ることが出来ない後の世の人たち、すなわち私たちを見据えて、このように語ってくださった
のである。私たちは、聖書を通して弟子たちの証言を聞くことによって、主イエスの復活を信じる者とされるのである。それが、
本当の信仰であり、喜ばしい恵みである。
筆者は最後に、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じ
てイエスの名により命を受けるためである」と記している。私たちも永遠の命を与えられるのである。
(4月7日 主日礼拝説教より)
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