「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が
一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネによる福音書3:16)

ヨハネによる福音書3:1-21



応援教師 山本 清   
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2022年8月

 ファリサイ派の議員であるニコデモが、ある夜、ためらいながらも期待を持って主イエスのもとに来たとき、主は、「人は、新たに生まれ

なければ、神の国を見ることはできない」(3:3)と言われ、戸惑うニコデモに対して、そのあと語られた中心的なメッセージが標記の言葉で、

「黄金の聖句」とか「福音中の福音」と言われている。

 ここには、まず前半で、神の愛の御業が、「神はその独り子をお与えになった」と語られている。神は人々に、愛についての教えや勧めを語ら

れたのではなく、人間に対する渾身の愛を込めて、独り子イエス・キリストを私たちに差し出すという行動に出られたのです。精神的なことや

理念上のことではなく、血の出る痛みや苦しみを伴う出来事(行動)であります。「独り子」という言葉には二つの意味が込められています。

一つは、神の子として<神と類を等しくするお方>という意味、今一つは、<他に同じような方がいない、唯一の方>という意味です。つまり、

神は御自身に等しい最高のものを、他にかけがえのない仕方で、ただ一度だけお与えになったということです。「お与えになった」ということは、

敵の手に引き渡すという意味で、神の子の命を人間の手に任されたのであります。と言っても、神の子の命が人間の手によって滅ぼされる筈はなく、

十字架上で奪われた神の子の命は甦ります。しかし、その命は人間に与えられたのであります。そして、私たちが神の子の命に生きる者とされたの

です。

 次に、後半では、その目的と結果が、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と言われています。「滅びる」とは、

「見失った羊の譬え」や「放蕩息子の譬え」(ルカ15:1-32)の中で、「見失った」とか「いなくなった」と訳されている言葉で、愛する者のもと

から消え去って、失われることで、その反対が、ここで「永遠の命を得る」と言われていることです。「永遠の命」とは、<永遠に死なない命>と

いうよりは、神の愛のふところに抱かれて生きる命のこと、神の御支配のもとで、安心に生きることであります。


 最後に、「一人も滅びないで」と言われていることに注目しましょう。神様は万人の救いを望んでおられます。しかし、主イエスを受け入れて信じ

ないならば、どんな悟りを開いても、決して救われることはありません。けれども、神の子イエスを信じるならば、永遠の命に生かされ、神の国に入れ

られるのです。これこそ、福音中の福音であります。









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