「だから、わたしは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。……一時の軽い艱難は、……永遠の栄光をもたらし……」

     コリントの信徒への手紙 二 4 : 16 – 18  

 



  教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2022年1月
 冒頭でわたしは落胆しないと言います。たとえどのような状況にあっても落胆しない、これがキリスト者の新しい年を始める第一歩です。では

どうしたら落胆しないで勇気をもって未知なる明日へと踏み出せるのでしょうか。それは「外なる人」が衰えても、「内なる人」が日々新たにされる

ことから始まります。一般に「外なる人」と言えば肉体、「内なる人」と言えば心と考えますが、ここでは、生まれながらの目の見える身体全体の

ことです。衰えるのは、肉体も精神も同じです。体が衰えるように、心も傷つき、病むからです。「外なる人」とは、年齢を重ねると日々衰えて

死に向かう人間存在のことを言います。

 では「内なる人」とはどんな人でしょうか。それは神が造り出して下さる人間のことです。それは「キリストと結ばれた人はだれでも、新しく

創造された者なのです。」(同5章17節)とあるように、キリストと結ばれることによって人間は新しく造られるのです。具体的には「生きているの

は、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるからです。」(ガラテヤ2章20節)と言うことです。

 キリストがわたしの内に生きて働くことによって新しい「内なる人」が創造されます。そのことをより明らかにするために、「キリストと共に葬ら

れ、その死にあずかるものとなり……キリストが…死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きる」(ローマ6章4節)と記して

います。つまり、これがキリストの十字架によってわたしたちが生きる者とされた出来事なのです。キリストは私たちの罪に死ぬことによって、

私たちを贖い、主イエス・キリストが復活されたことによって私たちも新しい命に生かされました。そのことによってキリストと共に新しい命へ、

「内なる」人へと造り変えられて行くのです。

 そして「内なる人」「外なる人」は無関係なものではなく、深く結びついています。四方から苦しめられ、行き詰り、途方に暮れ、失望し、

虐げられ、見捨てられ、打ち倒され、滅ぼされる「外なる人」の衰えていく現実の中で、私たちは十字架のキリストへの信仰の故に永遠に存続する

栄光を目指して、「いつもイエスの死を体にまとって」「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れる」そうした「内なる人」の完成に向かって、

日々新しく希望の中に生きて行くことができるのです。









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