初代教会の生んだ最大の伝道者パウロが、ギリシヤのコリントにある教会に宛てて出した手紙が二通、
新約聖書に入れられています。手紙でありますから、それを書かねばならなかった事情があるのです。
それは具体的にコリントの教会の中で起こっていたこと、問題になっていたことです。書いたパウロも
受け取った教会の人々も、これが聖書に入れられて、全世界の人々がこれを読むなどということを予想して
いなかったでしょう。だからそのときの教会の問題と、教会とパウロとの関係がありのままに描かれている
のです。
わたしたちがこの手紙を通して神さまの御言葉を聞くことができるということは、神さまのお働きが、
この世を離れた美しい世界でなされるものでなく、人の問題が渦巻くこの地上でこそなされるものであること
を示しています。コリントの教会の問題を通して、神さまは今のわたしたちの教会、わたしたち自身に語って
おられるのです。
「パウロ、召されたキリスト・イエスの使徒、神の意志によって。」 これが原文の書き出しを直訳した
言葉です。コリント教会はパウロが一年半の伝道の末に建て、育てた教会です。お互いに知らない関係では
ありません。しかしその関係の中においてはっきりさせたいことがある。それは自分が神の意志によって召された
使徒だということです。パウロとの個人的なつながりや、人間パウロを知っていることは意味を持たないのです。
それはこの手紙の受けとり手である教会についても同様です。「コリントにある神の教会へ、キリスト・イエス
によって聖なる者とされた人々へ」 と語りかける。彼は教会員の顔を思い浮かべることができたでしょう。
いろんな思いがあったでしょう。しかし彼らは 「神の教会」 であり 「聖なる者」 である。人の集まりとして
見ても、この教会はたくさんの問題を持っていました。そのためにパウロが本当に苦労させられたのです。
これでも教会か、というような状況もありました。しかしなお、そういう教会を「神の教会」と呼び、「聖なる者」
と呼ぶ。これは信仰によるものです。
旧約聖書の蔵言に 「幻がなければ民は滅ぶ」 という言葉があります。幻ははかない夢ではありません。
神の言葉が見せてくださる、この世を超えた現実です。それを失った時に、神の民は滅ぶのです。
「神の教会」 も「聖なる者」 もそういう意味の幻です。人の目に見えている現実を超えたところで神が
「これがあなたがたのまことの姿である」 と宣言されたコリント教会の真実です。目に見える形で起こっている
教会の問題を取り上げるときに、パウロは、この幻から出発しようとするのです。教会の問題は、その視点を
抜きにして正しく見ることはできないからです。
泉北伝道所 月報 2013年7月
月報巻頭言
コリントの使徒への手紙 1章1~3節 豊中中央教会牧師 山川 聡