「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として
来られるのを、わたしたちは待っています。」(20節)
フィリピの信徒への手紙3章17節~4章1節
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって18日目を迎えました。「UAnimals」という動物の権利保護活動を行ってきた団体は、今は動物園や
シェルターに取り残されている動物たちにエサを届け救出するため、命がけの活動を続けています。一番最初に見捨てられてしまうであろう弱い
存在に対して、あらゆる隔たりを越えて愛を注ぐという行為に徹することが、戦争という悪魔的な力に打ち勝つ力となると信じてのことです。
「腹を神と(する)」(19節)貪欲は、人を暴走させ、他者を傷つけます。「キリストの十字架」(18節)という基準が、自分の中でないがしろ
にされているように感じられる瞬間が訪れたならば、自分のありようを見つめ直す必要があります。
悪しき大きな力が自分のことを押し潰そうとする。そして、「お前も仲間に入れ」と迫って来る。その時、信仰者が取り得る道は、「ひとつのこと
を主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り」(詩編27編4節)ということです。「道は一つしかない」と言われたならば、狭く
窮屈な感じがします。しかし、危機的状況にあっては、シンプルであることが一番です。「選択の余地はない。これに寄りすがるしかない」と言われ
た方が迷わなくてすむからです。
「わたしたちの本国は天にあ(る)」(20節)とのパウロの言葉から見えてくることは何でしょうか。まず、わたしたちの所属先は神様のみもと
であって、私たちには逃げ込む先が残されているということが見えてきます。次いで、天の父なる神様が、私たちのところに助け手である御子キリスト
を遣わし、聖霊なる神様の導きをもって逃げ込む先にたどり着けるまで、道のすべてを守り歩ませていてくださるということが見えてきます。
その時、二つのことがハッキリします。一つは、私たちの所属先が神様のみもとであるならば、私たちはそれ以外のものを必要以上に恐れたり、
頼ったりしなくてもよいということです。神様の御手の内に置かれている以上、命であれ生き方であれ、もはや大切ななにかを奪われることはない
のです。二つ目は、私たちの所属が天にあるならば、人種や性別、国籍などあらゆる枠組みに縛られることなく自由に、全ての領域に入って行ける
ということです。教会や信仰者の戦い方は、敵を打ち倒すことにあるのではなく、弱い者・虐げられている者に寄り添うことにあるのです。
「主によってしっかりと立ちなさい」(4章1節)と命じられています。もちろん一足飛びではいきません。それでも、主は、今たどり着いたところを
確かな出発点として次へと進ませてくださいます。それが、天へと向かう道でもあるのです。
(2022年3月13日(日)の大阪西教会の主日礼拝説教より)