主イエスは十字架につけられ、息を引き取られて墓に葬られました。その墓は大きい石で封印され、警備兵によって厳重に見張られ
ていました。この世の権力が人の命ばかりでなく死をも管理できるが如くに。三日の後、二人の婦人が墓に行くと、思いもよらない、
人間の頭脳では考えられないことが起こっていました。それは、大地震が起こって天使が現われ、主イエスを閉じ込めていた重い石を
いとも簡単に取り除いていたのです。人間の権威をあざ笑うかのようです。そして天使が言いました。「十字架につけられたイエス…は
…ここにはおられない。…復活なさったのだ。」(5-6節)と。
ここに起こっていることは、ラザロの復活のような奇跡ではありません。私たちの身代わりとなって死なれ、十字架につけられた
救い主・イエスの復活です。天使は言います。『あの方は死者の中から復活された。…」(7節) と。私たち人間は死人の復活と言うと、
死んだ人が生き返ってもとの体に戻ることだと思います。しかし、もとの体に戻った命はまた必ず死にます。キリストの復活はそのような
復活ではありません。ではどのような復活でしょうか。そのことを知るには「死」と言うことを知らなくてはなりません。私たちは死ぬこと
について考えますが、死そのもの、死の本質についてはあまり真剣に考えていません。死の本質とは何でしょうか。聖書は何と言っている
でしょうか。