ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。『もし、この男を釈放するなら、

あなたは皇帝の友ではない。』……ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した

 

    ヨハネ福音書 19 : 12 - 16 

 



 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2020年3月

 主イエスの受難物語・ピラトの裁判・最後の場面です。尋問の結果、ピラトは主イエスに何の罪も認めることができず、何とか

主イエスを釈放しようとします。それを知ったユダヤ人たちは最後の切札を出して来ました。それは「もし、この男を釈放するなら、

あなたは皇帝の友ではない」
(12節) という台詞です。この「皇帝の友」と言う言葉は 非常に重要な意味を持っていました。その

ことを知るために少し世界史を振り返ってみましょう。

 フェニキア人が地中海を支配していた頃、B.C.201年に、ローマが西地中海の中心であったカルタゴを征服して地中海世界の覇権を

握ります。それから王政、共和制、三頭政治時代を経てB.C.27年にオクタビアヌスがローマを統一し、元老院から皇帝アウグストスの

称号を得て、これよりローマの帝政時代が始まります。政治経済を論じる時にパックス・ロマーナと言う言葉が使われます。これは

ローマによる平和というラテン語です。つまり力によって地球規模の平和が保たれることを言います。古代ローマ帝国は力によって

自分の支配する国々と強制的に講和を結び、ローマの庇護の下で世界平和が保たれました。こうした時代背景の中で「あなたは皇帝の

友ではない」と言われますと、世界からはじき出され、抹殺されるような大きな恐怖に陥ります。逆に「あなたは皇帝の友である」と

言われると、その一族も、その国家も繁栄が約束されたのです。ユダヤ人たちはそこを突いて「この男を釈放するなら、あなたは

皇帝の友ではない」
(12節)と叫んだのです。実に巧妙です。 

 今日、時代は変わっても歴史的状況の本質は変わっていません。パックス・アメリカーナと言われるように、やはり大国の力の下に

ある平和なのです。私たちは大なり小なり、そうしたこの世の力による政治・経済に依存して生きています。もしあなたがピラトなら、

この現実を突きつけられて、なおイエスを釈放できるでしょうか。このことが今日、私たちに問いかけられています。ピラトは身の危険

を感じて、直ちに尋問を打ち切って裁判の席に着きました。そして「十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」(16節)の

です。しかしイエスはこうした中で、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで低きに降り、ただ唯一の主なる神に従順に、忠誠を

献げ尽くされました。そのことによって私たちの救いは現実となり、主イエスと共に復活の生命に生かされる、新しい創造の栄光へと

導かれました。
 


 










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