「わたしは羊の門である。…わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を

   見つける。…わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」 (7,9,10節)

     ヨハネ福音書 10 : 7 - 12   

 



 教師  武田 晨一 
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2020年11月

主イエスはご自分のことを「わたしは羊の門である」と、繰り返し念を押すように語られました。これは厳密に

訳しますと「羊のための門」となります。檻の門でなく羊のための門です。この門を通らなければ羊は檻に入るこ

とも、そこから出て命の糧である牧草にありつくこともできません。言うまでもなく羊とは、私たち人間のことを

譬えています。

  主イエスは山上の説教で「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る

者が多い。しかし、命に通じる門は何と狭く、その道も細いことか。それを見出すものは少ない。」と言っています。

命に至る門は狭いのです。ですからその門を通ろうとする者は、自分を小さくし、身を低くしないと入れないのです。

自分の心に湧き起こる様々な思い、欲望や自己主張、思想的主義主張、そうしたもので自分が大きく膨れ上がってい

てはとても入れません。

  主イエスが「わたしを通って」と強調している門は、キリストの十字架です。キリストの十字架は、この世で最も

低い所、侮られて人に捨てられ、罪人として死んで下さった所です。この門を通らないでこの世を生きる人は、盗人

であり、強盗だと言います。しかし、このキリストの門を通って生きる人は、暗い夜でも、外敵のいる中でも救いの

壁に囲まれて悪魔の誘いから守られます。また、檻の中で安全に過すだけでなく,門を出て、教会の外の 世の力と戦

う時も、羊飼いに導かれ、恐れることなく伸び伸びと自由に戦って、勝利することが出来ます。何故なら、私たちの

ために命を捨てて下さる良き羊飼い イエス・キリストが共にいて下さるからです。そればかりか私たちを豊かな牧場

に導き、魂の糧である命の言葉によって養ってくださいます。

  けれども、私たち人間は、この真の羊飼いを知らず、何の拠り所も持たないで、自分の思いのままに歩いています。

そして体だけでなく魂まで滅んでいくのです。

  主イエスは迷い出た一匹の羊を探し求めて、その滅びの道から救い出して私たちに永遠の命を与えるために、十字架

上で私たちの滅びを負って死なれ、命の門となって復活されました。もっともっと自分を小さく、低くして、この狭き

十字架の門を通り、救いに与かる、実り多き第一歩を踏み出しましょう。






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