まず、1節で、主は「他に72人を任命し・・」と仰っておられますから、「先に任命された人達」がいたはずです。
そのことは、実は前の9章1~6節に示されています。それは、小見出しにありますように、「12人を派遣する」という記事であり
ます。この12人の派遣記事と、10章の72人の派遣記事との内容には、細かな違いはありますが、本筋においては全く一致してい
る事が分かります。これ等の記事から明らかなことは、「12人の主イエスの最初の弟子達(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ等)と、
72人の弟子達に対して、主イエスは全く同じ扱いと同じ期待・同じ命令をもって、派遣されたのである」という事です。
72人の弟子達の名前は、12人の最初の弟子達のように名前は知られてはいませんが、どちらも主なる神様による、同じ派遣であ
るという事を、はっきりと認識しておくことが大切です。つまり、人数が多くなったからと言って水増しされたり、或いは、
神様からの召命が薄められて適当に扱われるということはないのです。また、この事が、実に現在にまで引き継がれているとい
うことをはっきりと認識しなければならないことなのです。更にはっきりと言いますと、最初の12人の主イエスの直接の弟子達
に与えられた聖霊と、その弟子達のその弟子達の・・・であります私達に与えられている聖霊とそのお働きは全く同じである
という事です。従って、神様のご期待も全く同じであり、少しも薄められているのではないという事です。これが信仰告白に
言う、『使徒的信仰の伝統』という事なのです。5000人の群衆に対する、パンと魚の奇跡を思い起こしてください。
最初の5個のパンと2匹の魚が、5000人を養ってなお12籠の余りがあったという事なのです。この出来事は、私達に与えられる
聖霊の働きを表しているのです。
ペンテコステの後も、何回も大きな信仰覚醒運動が起こっています。明治4年における日本における最初のプロテスタントの
誕生も劇的なものでした。当時、宣教師のバラが、新年祈祷会を毎日午前に、青年達と共に、東京の小さな会堂で開いておりま
したが、青年たちの熱意が大きかったため、毎日の祈祷会が3月10日にまで及び、その日9名の青年達が宣教師バラから洗礼を
受けたのであります。バラは泣いて喜んだと伝えられています。そして、先の2名の受洗者と共に、この日、11名の者をもって
日本で最初のプロテスタント教会が設立されたのです。この教会が後ほどの、横浜海岸教会となり、私ども泉北伝道所も、
この教会の流れをくんでいるのです。しかもこの11人の中に、2人のスパイが放たれていて、この教会の動きを逐一、警察の
上層部に報告していたという事です。これ等のスパイの報告によって、私達は当時の様子を詳細に知ることができるのです。
神様は人々の背信行為を用いてでも御心を成し遂げられるのです。
私達日本キリスト教会に属する者たちは、このような、豊かなキリスト信仰の伝統を受け継いでいるのですから、今後も
更にそれらの良き伝統を、主の憐れみと導きにより、発展させられていきたいものであります。
「72人の弟子達とわたしたち」 ルカによる福音書 10章1節~12節